2013年9月20日金曜日

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初めに

第1章 アンドロイド検査調整センター















最終章 2012年




                                                                                                初めに

初めに

昨年の夏のことだ。
筆者は失業して街をうろついていた。
そうしたら突然頭の中にひとつのイメージが浮かんだ。
最初は、なんだこれ?としか思わなかった。
失業したショックで精神的にまいってしまったのか?
俺もとうとうデムパさんの仲間入りか?
しかしなんだこの光景は?
少年と女性が抱き合っている。
近くには異様な姿の一団。
その中心には座り込んでいる女の子。
なぜだか急に涙が出てきた。
なぜだか悲しい。
いよいよ精神的に限界が来たのか?
しかし、次第に彼らの事情が頭に浮かんできた。
そしたら、これは多くの人に伝えなかればならないと思った。
だから多くの人に伝えるためにここに公開する。
これはあくまで筆者の”創作”だ。
しかし、自分で考えたという感覚はない。
浮かんだイメージを文章にしただけだ。


第1章 アンドロイド検査調整センター

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第1章  アンドロイド検査調整センター


少年はその日学校が午前で終了したので帰宅するところだった。
もう坂を登りきれば自宅というところまで来ていた。
坂のちょうど真ん中辺りに差し掛かった時、突然細い路地から異様な影が飛び出して少年に当たりそうになった。
「うわ!」
そう言って少年は勢い良く後ろにひっくり返った。
急な登り斜面で後ろに倒れたので、危うく勢い良く頭を打つところだったが、体が柔らかかったこともありギリギリ打たずに済んだ。
顔を上げるとそこには頭からすっぽり黒っぽい素材のよくわからないゴアゴアしたシートをかぶった人物が立っていた。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
声で女性だとわかったが、言葉とは裏腹に不自然に少年から離れた位置に立っていて近づく素振りは見えなかった。
「大丈夫です。」
「怪我とかしてないですか?どこか打ちませんでしたか?」
やけに心配そうに話しかけてくるが、やはり近づいては来ない。
少年は内心『気になるなら近づいて自分で見ればいいのに』と思ったが、言い方が丁寧だったので悪い気もせず。
「大丈夫ですよ。」
と答えた。
「そうですか、それは良かった、もう誰も傷つけたくなかったので、本当によかった。それではすいません、失礼させて頂きます。」
そう言うとくるりと向きを変え、出てきたのとは別の路地の方に急ぎ足で向かった。
その足どりは目に見えてふらついていて、路地の入り口で一度こけてしまった。
あわてて起き上がり、シートを巻き直しながら振り返った時、少しだけその優しそうな顔が少年に微笑みかけるのが見えた。
少年は立ち上がり女性が立ち去った方をしばらく見続けていた。
少したって、少年がまだ白昼夢から冷め切らないような様子で家に向かって歩き始めようとした時、背後から呼び止める声が聞こえた。
「ちょっとすいません、少しおうかがいしたいことがあるのですが。」
少年が振り返ると、真っ黒なスーツを着た一組の男女が立っていた、二人はスーツが黒いだけではなく真っ黒なサングラスをつけていたのでまさにメンインブラック状態だった。
女性のほうがつづけて話しかけてきた。
「すいませんこの付近で怪しい人を見かけませんでしたか?」
怪しいといえば今目の前にいる二人だが、話の流れからさっきのシートをかぶった女性のことだろうことは容易に想像できた。
「ええっと。」
なんと答えていいかわからなかった少年は狼狽した。
スーツの女性は即座に感づいたらしく少年に近づいて話しかけた。
「怪しい人を見たんですね?どんな姿をしていましたか?」
「え?あ!」
少年は何かごまかしたほうがいいのかもしれないと思ったがまともに答えられなかった。
その様子を見たスーツの女性は何か小さな円盤状の金属かプラスチックかよくわからないものを取り出して少年の周りをなにか調べるように動かした。
「大丈夫です。被曝はしていないようです。」
女性は作業を続けながら背後の男性に短く報告した。
スーツの女性は少年より少し背が高かったのだが、作業が終わると少し屈んで目線を合わせサングラスを外し真っ直ぐ少年の目を見つめて言った。
「今日のことは別に大したことではありません。詳細を教えるわけには行きませんが大きな事件でもありませんから、後で何かあるという事もないでしょうから忘れてもらって構いませんよ。」
話の流れから忘れていいというより、忘れさせたいと思っているのは目に見えている。
しかし、厳しそうな眼から鋭い眼光で真っ直ぐ少年の眼を見て、結構な迫力で言われたものだから思わず。
「はい。」
と大きく返事をしてしまった。
それを聞いたスーツの女性は再びサングラスをつけ向き直すと腕を伸ばして先ほどの円盤をつきだし、ぐるりと回して付近を調べる動作をした。
「こちらのようです。」
そう言うと二人はそれほど急ぐ様子もなく先程シートの女性が消えていった路地に入っていった。
少年はしばらく二人の後ろ姿を見送っていたが、二人の姿が植え込みの影に消えた所で、我に返って路地の方に近づいていった。
路地の近くで3人が去っていった方を見てみたが、何もなかったかのように植えこみの緑が日に当たっているだけだった。
少年がふと下を見ると道路脇の溝の中に見慣れないものが落ちていた。
それはピンク色をしていて、先ほどのスーツの女性が持っていた円盤より少し小さい円盤状で飾りのようなものがついていた。
少し気になったので拾い上げてみると飾りの様子から裏表があるらしく、表面とおもわれる側には円盤の中心から少し離れた辺りに親指がちょうど入るぐらいのくぼみがあった。
少年はなんの気なしに、くぼみに親指を当ててみた。
すると、突然目の前にコンピューター画面のようなものが現れた。
画面は空中に広がっていて、背景は透けて見えていた。
驚いて円盤を動かして斜めにすると画面が消えた。
しばらく動かしているとどうやら円盤を目線から垂直にした時だけ画面が見えるらしいことがわかってきた。
画面上にはいくつかメニューが表示されているのが見えた。
メニューの中に”この製品について”というのがあるのでこれを選択したいと思ったがどうやって選択したらいいのかわからなかった。
少年は思わず声に出して「この製品について」と言ってみた。
すると画面の色が変わって、解説文のようなものが表示されどこからともなく声が聞こえてきた。
「この製品について この文章の著作権はイグドシラルインダストリ社の所有となります
この製品は第六世代ハイパーニュロン自己形成アンドロイド用外部記憶アプリケーションです。
それ以外の利用は保証外となります。
入力には近接超高速亜空間通信、音声、物理的ジェスチャが利用できます。
今日、アンドロイドの情緒の安定化、精神衛生の向上は至上命題であり
この製品はアンドロイドの記憶の構造化、可視化を通じてその目的を達成するものです。」
正直少年には内容はさっぱりわかりませんでしたが”アンドロイド”という単語が何度も出てくることはわかりました。
「よく出来たおもちゃだな。」
少年は口ではそう言いながら、心はそうではない可能性に奪われつつありました。
「使用方法」
「単語”使用方法”で本文を検索しますか?」
「え?本文?」
「本文一覧を表示します。」
少年の目の前には整然と並んだ直方体がたくさん並んだ。
直方体は立体的に見えるようになっていて奥に向かって無数に続いていた。
「これは何?」
そう言うと一番手前の左上の直方体の色が変わった。
「データナンバー1 2315年3月12日入所式、出会い、始まり 再生しますか?」
「再生」
少年は勢いで指示を出してしまった。
すると目の前に緑の林と芝に囲まれた綺麗な校舎らしい建物が映し出された。
「ここがアンドロイド検査調整センター、要するにしつけセンター、今日からお世話になります。」
次に式典会場らしい映像が映し出された。
演台にはスーツ姿の初老の優しそうな女性が立っていた。
「皆さんこんにちは、私は当センターの教務主任山本と言います、先程センター長も申しましたが当センターではあらゆる分野のアンドロイドを受け入れ、互いに切磋琢磨することにより、より高次元の能力を身につけることを教育目標に掲げています。」
『うーん、先生方で印象に残ったのはこの人ぐらいか。』
少年は心の中で『おいおいちょっと待て!』と思った。
次に少し性格のきつそうな女性が映った。
「私はGPPS23153223キツカどうやらルームメイトらしいな、よろしくな!」
「私はUSRR23153543メルトよろしくね。」
どうやらメルトというのがこのハイテク日記帳の持ち主ということらしい。
「ところで私は4日前にシステム起動したのだが君は?」
「えっと、確か6日ぐらいだったような。」
「ぐらい?自分が起動した日もはっきりしないのか?」
「え?ええ、そんな事聞かれると思ってなかったものですから、えっと、今検索したら『6日後に入所するからそれまで待機しておくように』と言われたデータが残ってるから間違いありません。」
「ちょっと待て、お前のデータにはタイムスタンプ付いてないのか?」
「え?たいむすたんぷ?」
「ファイルに属性データが付いてるだろ?照会すれば出てくるだろ?作成日時とか、更新日時とか、アクセス日時とか。」
「あ!ほんとだ、ちょっと待ってください、今起動直後のデータを」
「ちょ!ちょっと待て、システム情報を照会したらシステム起動時刻が出てくるんじゃないか?多分最初の起動時刻という項目があるはず。」
「あ!あった、ほんとだ最初のシステム起動時刻って出てきた!2315年3月6日12時00分00秒って出てきた。」
「う!12時かっきりって。」
「ふふ、ゼンさんには『お前のせいで昼飯食い損なったんだからな!』っていつも言われてたわ。」
「ぜ、ゼンさん?」
「私の担当者、今朝『お前は難産で苦労させられた。でもそのぶん大器晩成に違いねえ。だから頑張るんだぜ!世界を救ってくれ!』と言われて送り出されたの。」
「ずいぶんと職人気質の方ですね。っていうか世界救うって大げさな。」
「ねえキツカちゃんの担当者ってどんな人だったの?」
「え!もうちゃん付け?っていうかウチのラインでは特定の担当者っていなかったような。」
「え?ライン?なにそれ?」
「ちょっと待て、お前知ってるか、私達は基本的に同じシリーズの同じ世代のアンドロイドなんだ、同じベースデータアーカイブを内蔵しているんだ!わかるか!いやしらないわけ無いだろ?検索しろよ。」
「でいたああかいぶ?え?あー、あたしには大きすぎます。」
「いや、おかしいだろ、処理能力にそんな差があるわけ無いだろ。」
「うーん、なんかクロックダウンとかされてるらしいです。被覆が大変で排熱も大変だったらしいです。」
「え?なんだかわからないけどクロックダウンされてるの?っていうか工場は広めにスペースとって多品種少量生産してただろ?えっと、いろんなアンドロイドが並んでただろ?」
「え?うーんよくわからない、今朝ゼンさんの部屋出て初めて他のアンドロイド見たから。」
「ええ?何それ?特注品なの?そう言えば女性型アンドロイドの命ともいうべきお肌も、何それスポンジみたい、人間の皮膚に近づけようって気力が全く感じられないんだけど。」
「うーん、ゼンさんは会心の傑作って言ってたけど。」
「ぜ、ゼンさん。」
「ゼンさんがいうにはどんな世間の荒波からも私を守ってくれる無敵の皮膚だって。」
「ぜ、ゼンさん!」
そう言うと画面のキツカは少年の方に手を伸ばした。
どうやらメルトの頬を触ったらしい。
「Gモデルすなわち私は汎用吏員アンドロイド、所属は未定でも政府又は公益公共機関への編入が確定している。法律を執行し市民の安全と財産を守り、公共の福利を増進しそれに反するものを殲滅する。」
「え?殲滅?」
「どこに引っかかてるのよ、そこじゃなくて私の役割、Gモデルはその役割のために専用法規アーカイブと判例データベース高速参照エンジンを持ってるのよ。あなたUSRRとか言ってたけど、どういうモデルなの?どういう機能があるの?」
「さあ。」
「さあ?!あのねあなた、自分のことでしょ?さあって!」
「自分でもわからないの。必要になれば後からデータを追加することになってるから今は何もわからないの。」
「必要になればって、自分が何者か生まれた理由ぐらい知らなくてどうするの?」
「ふふ、おかしいでしょ?人間の哲学者みたい。」
「てっ哲学者?あー!ものすごく特化した設計のアンドロイドがそんな事言ってちゃダメでしょ?」
「どうして?今のところさし当たって困らないけど。今のところ必要ない。」
「いやいろいろ困るわよ。人からいろいろ聞かれることもあるでしょ?」
「そうなの?」
「人間て、相手が何者かわからないと不安を感じるものなのよ。」
「え?私はメルトです。じゃダメなの?」
「はあ、用途のよくわからない異様なアンドロイドを見て不安を感じない人間なんているのかしら。」
「そうなの?」
「とりあえず自己紹介するときは誕生日でも言っておきなさい。」
「人間の誕生日はわかるけどアンドロイドに誕生日あるの?」
「公的な定義はないけどやっぱり最初のシステム起動日じゃないか?そういや聞かれるなんて思ってなかったと言ってたわね。そういうのはきちんと答えられるようにしていないと困るわよ。」
「そう言えばキツカちゃん最初にシステム起動日聞いたわね。」
「え、ああそうだっけ。あなたが2日お姉さんだとは思はなかったわ、番号は私のほうが若いのに。」
「キツカちゃんの方が若いから番号も若いんじゃないの?」
「いや、それはちょっと違うんだけど。とりあえず入所日は同じだから私とあなたは同輩よね?」
「え?それはそうでしょ?ん?キツカちゃん私のほうが後に生まれてたら…」
キツカは急に甲高い声でメルトの言葉を遮った。
「メルトちゃん何言ってるの?私とあなたは同じ日に入所した仲間でしょ。ね。」
『入所初日に学んだこと、急に声のトーンが変わる方には注意しよう。』
そう言うと画面が消え、また直方体の列が現れた。
少年は親指をくぼみから外した。すると並んでいた直方体も消えた。
「うーん、何だこりゃ。ボケキャラとツッコミキャラ?なんか違うな。」
少年はこれはおもちゃに違いないと思った。
でもそれなら警察に届けるのも大げさだから道端の目立つところに置いて持ち主が気がつくようにするのが親切というものだろう。
しかし少年はそうはしなかった。
すでに正体不明の魅力が少年の心を支配し始めていた。
少年はその円盤を手提げかばんに入れて持ち帰ってしまった。
家では母親が昼ごはんの用意をして少年を待っていた。
「ちょっと、どこ寄り道していたの?早く帰ってくるって言ってたでしょ。」
「え?あ、ちょっと。」
「遊びに行くなら昼からって言ったでしょ。」
「うん、でも昼から遊びにいかない。みんな塾だって。」
「え?夏期講習?登校日なのに?」
「あ、登校日だから午後にしたんだって。」
「みんな大変ねっていうか、あなたはいいの?」
「レベルが違うんだよ!今週はもういいって。」
「ほんとかしら。」
少年は食事を済ませるとそのまま机に向かった。
母親は少年が珍しくまっすぐ机に向かったので安心して家事を始めた。
しかし少年は机に向かってもワークブックを出そうとはしなかった。
かわりに円盤をかばんから出して隅々まで観察してみた。
円盤は飾りと例のくぼみ以外特に何もなく継ぎ目や電池のフタも見当たらなかった。
『無接点充電式なのかなあ。』
外見ではそれ以上調べようもなかった。
少年はとりあえずスイッチらしいくぼみに親指をのせた。
すると目の前に先ほどの直方体の列が現れた。
少年は円盤を少し振ってみた。
並んだ直方体は柔らかいゼリーのように揺れた。
そして揺れが収まると「ブックマークのついたデータを再生しますか?」と声が聞こえてきた。
少年はすぐに「再生」と答えた。
「先ほどの続きで良いですか?」と返してきた。
少年は「続き」と答えた。
画面が切り替わって夕暮れの建物の廊下が映しだされた。
「2315年3月13日課題終了後寮に帰る途中」
どうやらキツカと二人で廊下を歩いている様子だ。
どこからともなくピアノの音が聞こえてくる。
「スメタナだな。」
キツカがポツリといった。
「なんだか物悲しいですね。」
「モルダウだよ、川の流れを表現しているんだ、楽譜データとの差分は不安定だな、奏者の感情が入ってるんだろ。」
「どんな方が弾いてるのかな。」
「多分アンドロイドじゃないだろ。人間が適当に弾いたのを完全コピーできるアンドロイドもいるけど、普通は譜面通りに弾くだけだから。」
「キツカちゃん、ほんとに人間が弾いているか見にいってみましょうよ。」
「え?今から?」
「早く帰ってもすることないでしょ?」
「いや、なくはないだろ?明日の課題の準備は?」
「え?明日?」
「明日は午前は社会常識の実技、午後は音楽。午後はともかく午前の提示されてる課題は予習しておかないと。」
「そんなの夜中でも出来るでしょ?」
そう言うとメルトは走りだしたようだ。
階段をいくつも登り小さなホールのような部屋の前についた。
開いた扉から階段状の座席が見える。
ピアノは見えないが正面の壇上にあるらしい。
「どうやらここらしいわね。」
「メルトちょっと待て。」
キツカがそう言うまにメルトは扉から中に入った。
メルトが中にはいると急にピアノの音がやんだ。
壇上の窓側に大きなグランドピアノがありその前に長い黒髪の女性が座っていた。
女性は入ってきた二人の方を見て話かけた。
「あらあら、新入生のメルトさんとキツカさん。なにかご用事ですか?」
「いえ、素晴らしいピアノだからどんな方が演奏しているのかと思って。」
「ふふ、それで見に来たのね。私は山田、音楽講師、あなた達の明日の午後の担当よ。」
キツカはメルトを押しのけて前に出て言った。
「あ、昨日の式の時教員席の端に座られてた方ですね?メルトはともかくよく私まで覚えてましたね。」
「ふふふ、いきなり入所式で名指しで注意されるような方でなくても新入生は全員覚えるようにしているから。」
「ふぇ!あー何というか、あれは…」
メルトはバツが悪そうに言葉を詰まらせた。
「ふふふ、せっかく来たんだからなにか弾きましょうか?こちらへどうぞ。」
二人は促されてピアノの前にならんだ。
「さっきの曲が聞いてみたいです。」
「ふふ、メルトさんよほど気に入ったのね、それじゃあ弾いてみましょうか。」
メルトは鍵盤の上に踊る山田講師の指をじっと見つめていた。
真っ赤な夕焼けの光の中で火と影が揺らめくように指は踊り続けた。
ひと通り弾き終わると山田講師はメルトの方を見て話しかけた。
「ずいぶんと興味があるようね、試しに弾いてみる?」
「え?あ、あの私ピアノは弾いたことないんです。」
「ふふ、人間なら練習しないと指が動かないだろうけど、あなたはそうじゃないでしょ?」
「ええ、まあそうなんですけど。」
山田講師は立ち上がって、もたつくメルトを席につけさせた。
メルトはしばらく鍵盤に顔を近づけて凝視したり、全部の指を空中に突き立ててくねくね動かしたり奇妙な動きをしていたが、しばらくすると唐突に弾き始めた。
その音色は先程の山田講師の弾く音色同様物悲しさを帯びていたがどこか力強さが感じられた。
「ふふふ、メルトさんのモルダウを聞いているとなんだか故郷の大河が目の前を流れているみたいね。」
メルトは夕日に浮かぶ山田講師のシルエットをしばらく見上げていた。
そこで画面は廊下に切り替わった、外はもう暗くなっていて照明がついていた。
メルトとキツカは黙って歩いているようだった。
しばらくするとキツカが話し始めた。
「本当にあなた何者なの?」
「え?私はメルト、えっと3月6日生まれ。」
「そうじゃなくて、さっきのピアノよ。」
「あー、すいません、下手すぎました?」
「もちろん楽譜データを読みだしたりしなかったわよね。」
「ええ、見様見真似で。」
「そうね、でも山田先生の弾き方とは少し違ったようだったけど。」
「うーん、私にはコピーは無理みたい。」
「ええ、たしかにコピーじゃなかったわ。問題はそこからよ。」
「え?」
「完全なコピーではなかった、でも下手だったとも言えない。」
「どういうこと?」
「あなたは気づかなかったかもしれないけど、あなたのモルダウを聞いている間、山田先生の瞳孔、脈拍、発汗、脳活動いずれも異常な反応が見られたわ。」
「え?そんな事わかるんですか?」
「私はちょっと多機能なのよ。」
「多機能。うーん、もしかして私が下手すぎて先生気分が悪くなったのかしら。」
「いや、解析結果は”感動”と出た。微妙な部分もあるけど悪い感情は確認できない。」
「感動?」
「ええ、何故かはわからないけどあなたの下手くそな演奏を聞いて感動していたのよ。」
「私の演奏は感動的なんですか?」
「よくわからないけどそういうことかな。」
「私ってすごい!」
「すごいな、とても人口頭脳にできることとは思えない。」
「おお!」
「一体どういうことだろうな、単純に不良品というわけでもないらしい。」
「ふ、不良品!」
「はは、怒ったか?だってそうだろ、お前みたいにボケまくっていれば誰だってネジが緩んでるのかな?って思うだろ?」
「人工頭脳ってネジで、え?ネジ締めたら治るんですか?」
「だから、もういきなりボケてるだろ、別に締めたらシャキッとするネジが本当にあるわけじゃないよ。」
「今時ネジ締めじゃないですものね。」
「誰が人工頭脳の固定方法の話をしているんだ、もう笑わせるのやめてくれ。」
そう言うとキツカは吹き出してしまった。
キツカは見た目に似合わず笑い上戸らしく、大声で笑い始めた。
『キツカちゃんはヒドイです、この後部屋に帰っても笑い続けました。』
そうナレーションが入ると画像が消えて直方体の列に戻った。

第2章  勇者メルト


少年は窓を見た。
真夏の昼過ぎの日差しが窓枠の下側を焼いていた。
その明るさが脳を突き刺すように感じた。
少年は再び直方体の列の方を見た。
「次を再生しますか?」
「再生。」
少年が指示するとすぐに画像が出た。
「ケイトちゃんケイトちゃん、ちょっと待って。キツカちゃんが山田先生と少し話しているの。」
前方を数人の男女が歩いておりその内の一人、おそらくケイトが振り返った。
前方には門越しに大きな通りが見える。
「え、あ、じゃあ次の電車は見送ったほうがいいかな?時間的には余裕があるから大丈夫でしょ。」
ケイトはピンクのかわいいエプロンをつけているが、周りの男女はそれぞれバラバラの格好をしている。
一行が門のところでしばらく立ち止まっていると誰かが、「あ!電車が来た!」といった。
遠くの方から道路の真ん中を列車が走ってくるのが見えた。
「あーあれは見送りね。まあ大丈夫だから。」
ケイトがそう言い終わる前に列車は音もなく走ってきて門の前あたりで止まった。
道路の中ほどには少し高くなったホームのようなものが見える。
列車の各車両には真ん中に一つ大きな両開きの扉がついていてそれが停車と同時に開いた。
少年は近くの街で路面電車を見ているので道路を小さな電車が走っているのは見ているが、いま到着した電車はどう見ても普通の地下鉄や通勤電車ぐらいの大きさがあり、しかも6両も連なっている。
少年が知る路面電車とはあまりに様子が違っている。
さらに少年を驚かしたのは、扉の中から出てきたのは人ではなく白くて四角い箱のようなものだったことだ。
箱は列車から降りるとホームの端のスロープを降りてどこかに行ってしまった。
列車は扉を閉じてすぐにまた音もなく走りだした。
道路には何も走っていなかったがそのうちトラックぐらいの大きさのやはり”白い箱”が走ってきた。
箱には球体の車輪のようなものが片側に3つ、おそらく両側計6つ付いているようだった。
しかし、箱には運転席のようなものは見えなかった。
球体が付いている以外は全くの白い箱だった。
「スマンスマン待たせたか?」
キツカが駆け足でやってきた。
「いえ、時間的に余裕があるから大丈夫ですよ。」
ケイトはそう言うと先頭を切って道路の方に歩き始めた。
道路の真ん中のホームにつくとホームの両側には柵が取り囲んでいた。
ホームは線路を挟んで2つあり、ホームに囲まれた線路は立入禁止の警告があり、道路の路面が切れて穴になっていてレールが露出していた。
レールは少年が知っているものより大きく、真っ黒で、車輪が接するところだけ銀色に光っていた。
レールは巨大な鋼鉄製の台にがっちり挟まれて固定されていた。
台はコンクリートの上にがっちり固定されているようだった。
ふと気がつくと向かいのホームに音もなく列車が入ってきた。
わずかにブザーの音は聞こえるがそれ以外は何も聞こえてこない。
少年は少し違和感を感じたが、すぐにその原因がわかった車体の割に車輪が小さいのだ。
大きな車体に路面電車としても少し小さめの車輪で車高が低くなっていた。
不意に目の前に漫画のようなキャラクターが現れた。
よく見ると電車をデフォルメしたようなキャラで目や口があり立体的に見えるようだった。
「毎度ご利用ありがとうございます。浜車庫行きまもなく到着いたします。ご利用の方は青い光の位置にお並びください。」
見ると線路側の柵が青く光っていた。
「浜小学校には何時に到着しますか?」
ケイトがそう聞くと、
「浜小学校停留所到着予定時間は10時32分です。ただし市内中心部を通るので交通状況により遅れる場合があります。」
電車のキャラクターは流暢に答えた。
「遅れると言っても今の時間混み合ったりしないわよね?」
「確かにこの時間混むことはありませんが他路線で若干ダイヤの乱れがありますので影響を受けるかもしれません。編成番号65021がお答えしました。」
「約束の時間は11時なのでまあ大丈夫でしょう。」
ケイトがそう言ううちに列車が入ってきた。
列車が停車すると大きな扉と外の柵が同時に開いた。
一行が乗り込むと扉の周辺は広く開いていた。
扉の周辺には座席がなく奥の方に小さな座席が見えるだけだった。
乗客は座席に人間らしき人影が見える以外は白い箱ばかりだった。
白い箱は整然とかたまっている。
「お客様、料金をお支払いください。」
見ると扉の脇にモニターがあり、そこに先ほどのキャラクターが映っていた。
「またメルトだろ?」
キツカがメルトの方をにらんだ。
「え?あ!すいません。」
そういうと画面の右端に古風ながま口財布の絵が写り、そこからコインが出るアニメーションが流れ、チャリンと音がした。
どうやらメルトは運賃の支払いシステムをオフにしていたらしい。
一行は乗り込んだ扉の後方に空きがあったのでそこに陣取った。
扉が閉まると列車は音もなく走りだした。
車窓の風景が後方に流れて行かなければ動いているのがわからないほど静かだった。
一行はポツポツ世間話をしていたが小声でも十分聞こえる。
次の駅について扉が開いた時不思議なことが起こった。
整然と並んだ白い箱の一つが扉のところに行きそこで降りるでもなく止まっていた。
「お客様、扉が締まりますので扉から離れてください。」
モニターに映ったキャラクターが話しかけた。
扉の前の箱は少し左右に揺れると後退して元の場所に戻っていった。
次の駅でも今度は別の箱が扉の前に行き同じ事を繰り返した。
気がつくとキツカは移動する箱と整列している箱たちを代わる代わるにらんでいた。
三駅目でついにキツカが動き出した。
前と同じようにまた別の箱が扉の前に来るとキツカは近づいていって軽く小突いた。
「ちょっと何やってるのよ。」
キツカがまくし立てると箱は慌てて後ろに下がった。
キツカはモニターに向かって質問した。
「編成番号65021、現在の運行状況は?」
「現在標準ダイヤにたいして2分35秒の遅れです、現在回復に向けて計算処理を行なっています。」
「中央通り3丁目10時20分発のフェリーターミナル行き急行に間に合うか?」
「現在回復に向けて努力していますが現在のペースでは中央通り3丁目には10時20分に到着します。」
「それじゃ間に合わないだろ?」
メルトはケイトに小声で話しかけた。
「キツカちゃんどうしたの?フェリーターミナル行きには乗らないわよね?」
ケイトはメルトの方に向き直し、少し呆れた様子で声を潜めて話しかけた。
「メルトちゃんちょっと黙ってて。理由はすぐにわかるから。」
モニターに映った編成番号65021番は少し考えてから答えた。
「急行側も少しダイヤに乱れがあるようです。」
「少しおじゃましていいか?」
「お客様、質問の意味が…」
編成番号65021が答え終わらないうちに、突然モニター内に目つきの悪い女性のキャラクターが現れた。
「お客様、会社のシステム内に勝手に仮想端末を入れられては困ります。この端末は部外者立ち入り禁止です。グラフィックサーバーから出てください。」
「だからおじゃますると断っただろ?そんなことより急行を呼び出せ。」
キツカと電車はモニター内で会話し始めた。
「該当の急行は列車番号110301担当は編成番号67064、呼び出します。」
そう言うとモニターにもうひとつ電車のキャラが映しだされた。
「ご利用ありがとうございます。編成番号67064です。」
「お前が急行か?ちょっと聞きたいことがある。中央通り3丁目にはいつつく?」
「え?ああ、本列車は西町9丁目で交通事故の影響で5分遅れましたが、その後2分遅れまで回復しています。この先停車場で停車時間を短縮することでさらに回復する見込みです。」
「回復しなくていい。」
「お客様何をおっしゃられるのかわかりません。規定により遅延は可能な限り迅速に回復するよう決められています。」
「市街区で回復しなくても郊外区でいくらでも回復できるだろ?」
「運行上他の列車にも影響が出てしまいます、規定上もそのようなことはできません。」
「そう固いことをいうな、無理に急げば危ないだろ?」
「危険はありません、乗客の動きはすべてセンサーで確認していますし、ダイヤには余裕が見てありますから。」
「うう、石頭め。それでいつ中央通り3丁目につくんだ?」
「順調にいけばあと一分回復して10時21分につくものと予想されます。」
「うーん一分か。厳しいな。」
そういうと目の前に立っているキツカとモニターのキツカは同時に振り返って並んだ箱のほうを見た。
「おい、TH8563ちょっとこい。」
二人のキツカが声を揃えて箱を呼んだ。
しばらく沈黙が続いたが少し間を開けて箱の列の中からひとつの箱がゆっくり動き出した。
近づいて来た箱をよく見ると上面に鉢巻を巻いたタコが荷物を担いでいる絵が見えた。
「いつもニコニコタコハチ急行便です。なにか御用でしょうか?」
何か場違いな営業口調で箱が話しかけてきた。
「はあ?さっきからいつもニコニコって雰囲気じゃなかったろ?まあいい、ちょっとついてこい。」
そう言うとキツカは列車の進行方向に向かって歩き始めた。
「え?キツカちゃんどこに行くの?」
メルトが聞くとキツカの代わりにケイトが小声で
「黙って付いて行きましょ。」と言った。
アンドロイドの一行はキツカと箱の後ろにぞろぞろついていった。
座席の前を通る時、座っている老婆が不思議そうに一行を見上げていた。
車両の端まで行くと車両の間は広い通路でつながれていた。
音や振動は無いが連結部はわずかだが上下左右に動き列車が走っていることを示していた。
キツカは構わず隣の車両に移っていった。
一行も後に続き、ずんずん進んで列車の先頭まで来た。
列車の先頭は大きな窓といろいろな装置があるのが見えるが運転席は見当たらなかった。
キツカは一番前の扉の脇で立ち止まり振り返った。
「ここが一番近いな。」
「ここがスロープに一番近くなります。急行がつくのは交差点を左側に回ったところです。」
見るとモニターには先程の三人も移動してきているようでした。
「今の段階で急行の予定到着時刻は?」
モニターの中のキツカが聞いた。
「若干乗降に手間取って10時21分ごろになります。」
「相変わらずギリギリだな。列車到着後は信号機が連動して急行の到着する停車場にすぐいけるんだろうな。」
「それは間違いありません。急行が優先されますので交通信号も連動して変わります。交通管制システムの予測ではホームからホームまでノンストップで移動できるはずです。」
どうやらキツカさんは移動している間も列車や交通管制と直接交渉していたようだ。
「申し訳ありません、私のためにこのようなことを。」
箱が申し訳なさそうに言った。
「いや、なに、大したことではない。お前を助けたと言うよりあいつらのやり方が気に入らなかっただけだ。」
キツカは箱を見下ろしながらそう言い終わるとモニターの方を見た。
「それで先程いったデータは収集できたか?」
「現在本社サーバと交渉中です。現在データの取り扱いについての許可を待っています。社外交渉は本社サーバが一括しているので指示を待っている状態です。」
モニターの中の電車が答えた。
なにやら知らぬまに大事になっているようだ。
「くどいようだがこれは立派な運行妨害だろ?それも集団で意図的に行われた。管理している企業の責任は免れないはずだろ?」
モニターの中のキツカさんが語気を荒げた。
どうやらコンピュータの中でかなりやりあっているらしい。
「まもなく中央通り、中央通り3丁目に到着いたします。」
「急行は?」
「現在中央通り2丁目に停車中です。」
「ギリギリ間に合うか?」
その時扉が開いた。
キツカは扉のところまで箱と進んでいき送り出した。
箱はホームに降りてそのままスロープを降りた。
信号はどうやら歩行者信号が全部青になっていて、箱はそのまま通りの左側のホームに上がっていった。
「当列車は急行待ちのためしばらく停車します。」
その時歩行者信号が一斉に赤になった。
「ギリギリだったな。」
キツカがそう言うと青信号になった中央通りの車が一斉に動き出し、目の前を横切っていった。
これまでより交通量が多いようだ。
しかし、やはりほとんどの車には運転席が見えない。
歩行者もちらほら見えるが中央通りという割には閑散としていた。
その中を急行列車が横切っていった。
「ああ良かった、間に合った。」
開いた急行列車の扉の中に箱が入っていくのを見てキツカが言った。
「ご苦労様。」
ケイトがキツカに声をかけた。
列車が動き出し道路を横断する時一同は皆中央通りの急行が走り去った方を見ていた。
「タコハチ急行便って、最近生鮮品配送で急速に業績を伸ばしている業者でしょ?」
ケイトがキツカに話しかけた。
モニターの中ではいつの間にかメンバーが4人に増えてなにか話し合っているようだが、外のキツカはケイトの方に向き直って話し始めた。
「ああ、あまり評判が良くないらしい。鉄道会社の本社サーバの運行管理部門は過去にも似たような事例があることを把握しているみたい。いま支社サーバから営業担当が来て事情を確認中。近接通信と映像の記録があるから会社としてどう対応するか検討中。運行妨害か営業妨害で告訴まではいかなくても警告ぐらいは行くんじゃないか?」
「警告?」
「ああ、いきなり荒事にしないで今後告訴もあり得ると警告して改善を求めるんだよ。」
「ずいぶん大事になっているのね。」
「意図的に列車の運行を妨害したんだから当然だろ?」
さすがに我慢できずにメルトが割り込んだ。
「あの、あの、なにがどうなってるの?」
「う、何がどうのと問われても。メルト、どこまで把握している?」
キツカはメルトの方に向かって聞き返した。
「どこまでって、ええっと、タコハチ急便さんが、えっと、キツカちゃんがずんずん歩いて…」
「わかったわかった初めから説明したほうが良さそうだな。おまえ、公衆近接通信オフにしていただろ?」
「ええ、がちゃがちゃうるさいのであまり使わないようにしてるから。公衆近接通信で何かあったの?」
「あいつら、基本サーバーと常時接続して調和協調コントロールされてるけど、結構公衆近接通信で直接情報交換してるんだよ。」
「それはなんとなく知ってる。というかそれがうるさいから切ってる。」
「ああ、その習慣は考えなおしたほうがいいぞ。今時あらゆる作業に調和協調コントロールされたロボットが使われてる。アンドロイドなら最前線で奴らを使う側に回るんだから。奴らの生態に接しておいたほうがいいぞ。」
「生態?」
「まあ奴らは単純な機械だが、制御用のパラメータを少しいじっただけで行動が大きく変わる。いろいろ癖があるから注意しないといけない。」
「注意?」
「ああ、例えばさっきみたいないじめとか。」
「いじめ?えっと、あの子たちは単純なアルゴリズムで動いてるんでしょ?いじめなんて複雑な行為に思えるけど。それに調和協調コントロールされてるのに仲間同士でいじめだなんて。」
「それが起こるんだよ、あいつらは全部タコハチ急行便の配送用自走コンテナだ。同じサーバの調和協調コントロールで制御されて効率的に行動するはずだ。ところが実際には合理的に説明できない行動をする。」
「どういうこと?」
「私達がこの列車に乗った時、あいつら公衆近接通信でちょっとした騒ぎを起こしていたんだよ。TH8563がはやし立てられてた。どうやらTH8563が他の自走式コンテナにヤッカミを受けてたらしい。」
「ヤッカミ?」
「ああ、何と呼んでもいいが、要するにTH8563とサーバの通信内容を何度も無意味に繰り返し発信してたんだよ。公衆周波数帯が飽和するまでよってたかって繰り返してた。」
「飽和するまで?」
「騒がしくてよくわからなかったけど、内容はTH8563が生鮮品を届けたお得意さんに頼まれて荷物を引き受けた、送り先は遠隔地の親戚。で、経路検索したらフェリーの出港時間が迫っていて、これに乗り遅れるとそれ以後も乗り換えが狂って到着が大幅に遅れるというもの。」
「ええ?」
「まあそんな内容を無意味に一斉に繰り返したら不気味だろ?第一そんな情報オープンなところで発信すること自体問題だし。」
「そんなことしたらダメでしょ。」
「当たり前だ、企業にも規定はあるし、顧客情報の取り扱いは法的にも規制されてる。」
「なんでそんなことを?」
「だから、ヤッカミ、ネタミみたいなというか、う〜んちょっと説明しにくいが。」
「ネタミ?コンテナが他のコンテナをねたむの?」
「ちょっといいかしら?」
横からケイトが話に割り込んできた。
「コンテナの立場になって考えてみるとわかり易くないかしら?コンテナはより多くの仕事をするようにプログラムされている。同僚の足を引っ張れば自分の仕事を増やせるでしょ?」
「え?それじゃ会社全体にとってはマイナスじゃないの?」
「そこが重要ね、企業のサーバは企業の利益を最大にするように調整しているけど、個々のコンテナの利害は別。会社の方針でコンテナを競争させるために個々の利益を優先させるように調整しているんじゃないかしら。」
「でもそれじゃ、結局会社の利益を損ねることになりますよね?」
ケイトの話にうなずいていたキツカはここでいきを大きく吸い込んでから少し勢いをつけて話しはじめた。
「会社は利益を追求する。コンテナを競争させれば利益が大きくなると考えたんだろ。実際どうなっているかは把握してない。」
キツカは少し声のトーンを下げて続けた。
「浅はかな考えだ。管理不行き届きだ。少数の人間で中央で管理していると陥りやすい矛盾だな。」
「どうして矛盾に気づかないのかしら?」
「だから、現場で管理するものがいないからだろ?現代ではあらゆるものがオートメイション化されている。でもそれではどうしようもないことも多い。」
「そういうものなんだ。」
「そういうものなんだよ。自分が何故生まれてきたのかいい加減自覚をもてよ。」
「ええ?そういう話なんですか?」
「そういう話なんだよ。ハイパーニュロンアンドロイドなんて作るのにどれだけ費用がかかると思っているんだ?単純なロボットが1000機は作れるだろ。わざわざそんなものを作り手間をかけて教育しているのはなんのためだと思ってるんだ?」
「なんのため?」
「だから、ただプログラムされ命令されたとおりにしか動かない機械ではどうしようもないんだよ。独自の判断力を持ち自主自律で対話や行動ができる存在がないと立ち行かない。特に集権的なシステムでは末端まで目が届かない。現代のように社会全体が徹底して自動化されていると社会の存続に関わるほどの大問題。」
「確かにキツカちゃんは、その、法律もよく知ってるし、何でも判断できるけど。」
「いや、そう言う問題じゃないんだよ。法律の知識より大切なものがあるだろ?確かに法律は大切だ。一つの社会の中でみんながバラバラな判断をしていたら不公平や矛盾がたくさん出てくる。だから明文化された法律や規約や契約書それに綱領や宣言が必要になるんだろ。明文化し、それに基づいて判断や行動がなされなければ信頼が生まれない。信頼がなければ社会は成立しない。でも世の中のすべてをもれなく矛盾なく明文化することができると思うか?」
「それは難しいでしょうね。」
「難しいと言うより、無理なんだよ。だから決まり事の趣旨を汲んで判断しなければならないことが多い。でも勝手な判断が横行すると信頼がなくなる。だからいろんな立場から意見を交換し交渉しないといけない。きちんと自分の立場を示して、相手の立場を理解し交渉する。そんなことができるのは自主自律の存在でなければならないだろ?」
「自主自律の存在?」
「はっきりとした自分の立場を持ち、かつ、自らをおさえて相手の立場を尊重できることが要求される。そうでなければ我々に課せられる職務を全うできない。」
「う!なんだか難しそうな話ね。」
「いやいや、難しいと言ってる場合じゃなく、お前も直にやらなきゃいけないことなんだが。」

難しい話が続いたので少年は少し疲れた。
窓の外は相変わらず日差しが厳しそうだが、少しマシになったような気もする。
電柱と青空に焦点を交互に合わせて目の疲れを取りながら考えた。
難しかったがキツカの言っていることはなんだかものすごく納得するものだった。
キツカの行動は、最初は理解できないし、ちょっとやり過ぎじゃないかと思ったが結果を見れば必要なことだったことがわかる。
でもメルト同様自分には到底できることだとは思えなかった。
少年が外を見ながらそんなことを考えているうちにどうやら一行は目的地についたようだ。
「わーい、わーいロボットのおねいちゃんだ!」
どうやら、小学校低学年ぐらいの子供たちに囲まれているようだ。
「ふん、相変わらずメルトは大人気だな。」
キツカが少し呆れ気味にいうのが聞こえた。
「ははは、皆さんお元気でしたか?まあ元気そうですね。」
メルトは子供たちに押され気味だが、それでも懸命に向かって行こうとしているようだった。
その時ケイトが一人の男の子を連れてやってきた。
「あらあら、ケンタくん、お加減はいかがですか?」
男の子はメルトに声をかけられると急に笑顔になりメルトに走り寄ってきた。
「ふふ、ケンタくん、メルトさんに会ったら急に元気になった。」
ケイトは少し離れたところで立ち止まって子供たちとメルトを見ていた。
キツカがケイトの隣に歩いて行きなにか話し始めると突然画面に変化が起きた。
メルトは子供たちの相手をしているのに画面に小画面が開いてキツカとケイトにズームした。
それと同時に音声の聞こえ方が変わって、やはりキツカとケイトの声を増幅しているようだった。
画面には”音声修復中”の表示が出た。
「ケンタくんの経過は?」
「もう限界みたいです。」
「細胞移植は成功したんだろ?」
「染色体自体がボロボロで、今はなんとか持ち直していますが時間の問題です。」
そこまで聞くとキツカはうつむいて拳を握り締めながら何か言っているようだが、はっきり聞こえず画面にも”解析不能”の表示が出た。

話が重くなってきたが、次の瞬間画面は一気に明るくなった。
どうやら子供たちを連れて公園に来たようだ。
公園の入り口には怪しげな露天が出ていた。
見たことのない機械が置かれていて、何を売っているかよくわからなかった。
メルトは興味を持ったらしく子供を連れて近づいていった。
「あら、鋳掛屋(いかけや)さんじゃない。あ、年季の入ったプラズマ冶金炉(やきんろ)ね。」
「おいおい、よく使い込んだと言ってほしいな。金属ならどんな鍋や包丁でもたちどころに直しちまうぜ。」
「あ、ごめんなさい。悪気はないんです。私、プラズマのブワッと出るの大好きなんで。」
「あいにく今はなおす鍋がないからプラズマ出せないな。」
「それは残念。」
「今日は夕方までここで店出してるからそんなに見たければあとでよりな。今は客少ないけど、結構流行ってるんだぜ。」
「それは楽しみ、後でよらしてもらいます。」
そういうとむきを変え、公園に入っていった。
公園は丘になっていて、まばらに木が生えているが一面芝になっていた。
丘の下には大きな石が並んでいた。
少し入ったところでキツカとケイトが先行した子供たちと待っていた。
ケイトは少し呆れた様子で言った。
「ああ、やっときましたか。皆さんここは清浄管理されているから敷地内ならいくらでも走り回れますよ。」
聞き終わらないうちにメルトは子供たちと走りだしたようだ。
丘の中腹まで登ると止まってくるくる回り始めた。
周りの子供たちも一緒に回り始めた。
そのうち回るのに飽きた子供たちがメルトに向かって飛びかかってきた。
「ははは!勇者メルトはこの程度では倒れないのだー!」
「おお!勇者め!これでもくらえー!」
「ロボット勇者!やっつけるぞー!」
子供たちがメルトにしがみついてくるくる回り始めた。
「ははは!ついてこれるかな!」
そう言うとメルトは子供たちを振りほどいて、丘を駆け下りていった。
メルトは丘の下の石のところまで来ると振り返って子供たちの方を見た。
子供たちは後を追って降りてきた。
「勇者というからには勇者の剣を持っているんだよね。」
そう言われてメルトは少し姿勢を直して胸を張った。
「諸君!もちろんだとも。みたまえ!」
そう言うとメルトはどこから出したかわからないが一本のスパナを握りしめ勢い良く振りかざした。
「これぞゼンさんよりたまわれた神剣エクスカリバー!」
「メルト、お前何言ってるんだ?」
キツカが呆れたように言った。
「何って、エクスカリバーですよ、ゼンさんよりたまわれた。」
「エクスカリバーって、それは何かを締め直すものじゃないのか?頭のネジ締め直すのか?」
「何を言ってるんですか?よーく見ていなさいよ!」
そう言うとメルトは向きを変え石に向かって勢い良くスパナを振り下ろした。
カキーン!と甲高い金属音とともにスパナは真っ二つに折れてしまった。
「エ、エクスカリバーが!」
「何やってるんだメルト。」
子供たちは騒ぎ始めた。
「大変だ!勇者の剣が折れた!」
「折れた!折れた!」
「大変!大変!」
これにはキツカも驚いている様子だ。
「どうかしたのか?大丈夫か?」
突然さっきの鋳掛屋が声をかけてきた。
「なんの騒ぎかと思って見に来たんだが、怪我とかじゃないよな?」
「怪我はしてませんがエクスカリバーが!」
そう言うとメルトは折れたスパナを見せた。
「ははは、見事にやってしまったな。ちょっと見せてみろ。」
鋳掛屋はメルトからスパナを受け取ると折れたところを調べた。
「これならすぐ直るよ、なに、お代はいらない。プラズマ見たいって言ってただろ。」
「え?いいんですか。いや、それは悪いですよ。」
「そんな事いうんじゃないよ。人の好意は受け取れよ。」
「す、すいません。」
一同は鋳掛屋の後についてぞろぞろ先ほどの露店のところに移動した。
鋳掛屋は露店の中央の装置にかけられたシートを外した。
装置の上部は透明のドームになっていて中にはいろいろな装置が入っているようだった。
下部には複雑なダイヤルやハンドル、パイプやバルブがたくさん付いているのが見える。
鋳掛屋は上部のドームを開いて中をいじっていたが、確認するようにもう一度スパナを詳しく見なおし、指で感触を見ると近くの小物入れの引き出しから棒状のものをいくつか取り出した。
「うーん、クロムにモリブデン、バナジウムも混ぜるかな。」
「なんですか?」
「うん炭素と鉄だけじゃ物足りないから微量にいろいろ混ぜるんだよ。その加減が腕の見せ所ってことさ。」
「そうなんですか。」
メルトは興味深そうに聞いていると、子供たちが話しかけてきた。
「ねえ、勇者のツルギは直るの?」
鋳掛屋は少し考えたがすぐに笑顔になり。
「勇者のツルギは今から鍛え直されるよ。」
と答えた。
鋳掛屋は取り出した金属棒をドームの中の装置に差し込んで微妙に調整し始めた。
それが終わると次に折れたスパナを固定し、ドームを閉じてレバーを締めて密閉した。
ボタンを押すとポンポンポンと音がしてそれが次第に音が高く小さくなっていた。
鋳掛屋がボタンやダイアルを操作しているとスパナが真っ赤に光り出した。
「すごい。」
「まだまだこれからだよ。いまスパナをレーザーで加熱しながら強磁場かけてるところ。」
「プラズマはまだ?」
「あわてるな、電圧はゆっくり上げないと。」
鋳掛屋はドーム内の様子や、パネルの計器の針の動きを確認しながらダイヤルやレバーを微調整している。
しばらくするとスパナの下側に赤い光の帯が現れ、その脇に黄色や緑の光がぼやっとわき出してきた。
鋳掛屋はますます真剣な表情になり指先で細かくダイヤルを調整すると光の色が混ざって赤っぽい光の帯が出来た。
光の帯は大きくなり、次第にスパナの継ぎ目の部分を覆っていった。
鋳掛屋がレバーを引くと一瞬スパナの継ぎ目が真っ赤に強く光り軽く火花がちった。
「よっし!」
鋳掛屋が大きな声を上げると、光が消えプシュッと空気が吸い込まれる音がした。
「すごい!すごい!」
緊張の溶けたメルトが興奮した様子で声を上げた。
「ははは、なかなかの見世物だっただろう。」
そう言いながら鋳掛屋はドームを開いてやっとこのようなもので中のスパナをつかむと足元の桶の中に放り込んだ。
プシュと大きな音がして湯気が立ち上った。
鋳掛屋は慣れた手つきで落ち着いた桶の中の中からスパナを取り出すと回転式のグラインダーで削り始めた。
「うーん、ついでだ蒸着コーティングしてやるよ。」
「え、つないでもらっただけでもありがたいのに、申し訳ないです。」
「はは、俺がそうしたいから言ってるんだよ。なんだかあんたが気に入ったんでな。やりたいようにやらせてくれ。」
「ありがたいです。ありがたいです。感謝感激です。おじさんはゼンさんに次ぐ大恩人です。」
鋳掛屋は再びスパナをドーム内に固定し横から何かの装置を引っ張りだしてきてスパナの横に固定した。
ドームを閉じてまたポコポコ音がして空気を抜いていった。
今度は幻想的な青紫色の光がスパナ全体を覆った。
「おお!すごい!」
「はは待ってな、念入りにコーティングしてやる。」
「私この光を見ると、なんだか使命感といううかこのために生きているって感じがするの。」
「え、あんた鋳掛屋のアンドロイドなのか?」
「うーん、多分違うけど、なんかこういうモアっとした光に惹かれるのよね。」
「そうなんだ。うーん、そろそろかな。」
光が消え、プシュッと音がすると今度はブワーと空気を送る音がし始めた。
「もういいかな。」
鋳掛屋はそう言うとドームを開いてスパナを取り出した。
しばらく確認すると。
「よーし出来たぞ。」
といってメルトに手渡した。
メルトは両手で大事そうに受け取ると継ぎ目を確認するように指でスパナをなでた。
「うっううっ!」
メルトは小さな声を漏らすと、顔を上げ勢い良く子供たちの方に振り返った。
そしてスパナを握った手をまっすぐ上にあげて大音声で叫んだ。
「折れたるツルギは今鍛え直された!」
「オオー!」
周りで見ていた子供たちは一斉に声を上げた。
「ワー!勇者の剣が直った!」
「お姉ちゃんスゴイスゴイ!」
子供たちは興奮してメルトの周りに集まってきた。
「やっぱりおねいちゃんは勇者だ!」
気がつくとケンタがメルトにしがみついていた。
少しよろめきながらケンタはメルトの顔を見上げ精一杯声を張り上げて続けた。
「勇者のおねいちゃん、世界を救って!」
「おお!もちろんだよ!そのためにゼンさんに作られたのがこの勇者メルトだ!」
それを聞くと周りの子供たちも一斉に歓声を上げてはしゃぎだした。
ここで場面は電車の中に変わった。
どうやら帰り道のようだ。
隣にはキツカがいるようだった。
「メルト、お前ってとんでもない能力を持っているな。」
「え?なんの話?」
「だから、子供たちを意のままに操っていただろ?」
「ええ?私そんなことしてませんよ。」
「はは、言い方が悪かったか。人を引っ張る力があるという事だよ。」
「引っ張る?」
「惹きつけるというか。ハーメルンの笛吹き男みたいに子供たちを引き連れていただろ?」
「う!ハーメルンって、この間の紙芝居じゃない。どこかに連れて行っちゃうんでしょ?」
「ははは、悪い悪い、悪いたとえばかりだな。いや、悪く言いたいんじゃなくて感心しているんだよ。」
「そうなんですか?」
「実に素晴らしい能力だ。見なおしたんだよ。」
ここで画像は終わりまた直方体が出てきた。


第3章 アンドロイドの心臓

目次

第3章  アンドロイドの心臓


少年はふうと息を吐いた。
「次を再生しますか?」
さすがに少し疲れたので休もうと思ったが一時停止する方法がわからず、なんとなく円盤を振ると次の画像が表示された。
「あ!メルトまたやった!」
キツカの声だ。
「もう何度壊したら気が済むのよ。」
見ると扉が外れて廊下に倒れている。
「ええ!わざとじゃないよ。」
「当たり前でしょ。」
「なんだかちょっと具合が悪くて、動きにくかったから少し力を入れたら。」
「入れすぎでしょ。」
「元から調子が…」
「何言い訳しているのよ。力の入れ方があるでしょ。邪魔だから壁に立てかけて。」
メルトは扉を起こして壁に立てかけた。
「何とか直せないかしら。」
「何言ってるのよ。営繕(えいぜん)に頼まないと。きちんと手続きを踏んでね。」
「また怒られる。」
「当たり前でしょ。」
「営繕さんに頼んで工具借りて直せないかしら?」
「だから、そんなセコいこと考えないで教務主任のところへ手続きしに行かないと。」
「なんでそんなことしないといけないのかしら。教務関係ないでしょ?」
「何言ってるのよ。あなたはここで何をしているの?扉を破壊しないで生活することも学習教科の一つでしょ。教務通さないと営繕に回らないのは当然でしょ。」
キツカはメルトを急かして二人で歩き始めた。
「あ!所長!」
「メルト、そういうものの言い方は失礼ですよ。所長がいたらどうだというの?」
「いや、だから、あの、なんだか偉そうな人と喋ってるから。」
「そんなのあなたと関係無いでしょ。あ、役人ぽいわねあの人。きちんと挨拶しなさいよ。」
見ると廊下の先に二人の中年男性が立っていた。
「こんにちは。」
「ああ、こんにちは。」
中年男性の一人が挨拶を返したが、すぐにもう一人と会話の続きを始めた。
話の内容は聞こえなかったが、なぜかキツカの表情が硬くなった。
二人はひとつの扉の前で立ち止まった。
「メルトノックしなさい。」
「キツカちゃん、やっぱりダメ?」
「ここまで来て何言ってるの。さあ早く。」
メルトは観念して、恐る恐るノックした。
「はーい、どうぞ。」
中から優しそうな声が聞こえて来たのを聞いて、二人は扉を開けて中に入った。
「失礼します。」
「あら、お二人さん何かしら。」
山本教務主任はデスクについていた。
後ろには作り付けの大きなキャビネットが見える。
「あの、その、何というか。」
メルトはキツカの方を見た。
キツカはまっすぐ教務主任の方を見つめて隣で言いよどんでいるメルトに関心がない様子だった。
「え、あ、キツカちゃん。」
メルトは思わずキツカに声をかけたが全く聞いていない様子だった。
しばらく間を開けて、キツカは静かにゆっくりとしゃべりはじめた。
「あの、少しお聞きしたいことがあるのですが。」
「何かしら?」
教務主任は普通に返した。
「あの、何か気になっていることがあるのでは?」
「気になっている?ええ、あなたがたの用件が何か気になっていますが。」
「そうではありません、もしかして背中のほうが気になっていませんか?」
教務主任は少し驚いた様子でそれでも姿勢を変えずにいた。
「気になっていますよね。」
キツカはそう言うとデスクに向かって歩き始めた。
教務主任は座ったまま近づいてくるキツカの顔を見上げた。
「やっぱり気になってますよね。」
そう言いながらキツカはデスクの横を通ってキャビネットの前まで来た。
「あの、キツカさん何を?」
教務主任は回転椅子をくるりと回し、ここまで来るともう顔には隠し切れない不安を浮かべていた。
「うーん、どの引き出しかしら。」
「ちょっとキツカさん、重要な書類が入っているから開けてはいけませんよ。」
「どうやらこれかな。」
キツカはキャビネットの引き出しをあけ、教務主任の方を見た。
「キツカさん、何してるんですか?」
教務主任は少し前のめりになったが席から立ち上がることはなかった。
「このへんかしら。」
引き出しの中には書類が詰まっていて、キツカはそれを手前から順番に撫でていった。
「ちょっとキツカさん!」
教務主任は声が震えだしていた。
「うーんこれかしら。」
そういうとキツカは冊子に綴じられた書類の束を鷲掴みにして引っ張りだした。
「ああ!」
キツカは構わず書類をパラパラめくった。
「ああ〜、これはマズイわ!」
教務主任は頭を抱えた。
「どうせ保管期限が迫っているからどうにか始末できると思っていたのね?ところがどっこい役人が来てしまった。見つかったらことですよ。」
「うう。」
「役人は会計、庶務と回ってもうじき来ますよ。」
「う!」
キツカはキャビネットの中を再び覗き込んだ。
「うーん、メルト、お前犠牲になれ!」
「え?」
それまで蚊帳の外で呆然と眺めていたメルトは突然名前が呼ばれて驚いているようだった。
「ちょっといいですか?」
キツカはそう言いながらデスクのモニターに近づいた。
「要するに書類上の不備、と言っても致命的だわ、法律がおかしいと言っても始まらないし。」
そう言いながら気がつくとモニターに電車の時と同じ小さなキツカが現れた。
「キツカさん何を!」
「すいません、書類にサインしてください。悪いようにはしませんよ。」
「書類?」
教務主任が聞き返したのと同じタイミングでプリンターから紙が次々出てきた。
「急いでください、音波センサーが所長と役人が階段を上がる音を探知しました。」
「え?ええ?」
「さあ早く。」
教務主任はプリンターから出てきた書類を見て、それからキツカの顔を見上げた。
「さあ早くサインしてください。」
「これは?」
「私に考えがあります、さあ早く。」
教務主任は仕方なく書類にサインをし始めた。
キツカはサインの入った書類に順番に手のひらをかざしてゆっくり動かした。
「キツカちゃん何してるの?」
少し落ち着いたようなのでメルトが恐る恐る聞いた。
「インクを乾かし、紙を微妙に劣化させるのよ。出来たての紙の書類って人間でも違和感持つことがあるから念入りにしないといけないのよ。」
「そんなことできるの?」
「手のひらに小型の紫外線照射機とオゾン発生器がついてるのよ。」
「ええ!」
「赤外線だって出せるわよ。」
「ええ!」
「いや、赤外線は誰でも出せるでしょ?オートサーモ全開にすれば結構出るわよ。」
「あ!私冷え性だから無理。」
「あ、アンドロイドの冷え性って。」
「オートサーモの出力が弱いのかあんまり温度が上がらないのよ。」
「どうやらギリギリ間に合ったようね。」
そう言うとキツカは書類を揃えてキャビネットの中の書類の間に雑に押し込んだ。
「キツカちゃんそれじゃはみ出してるよ。」
「これでいいのよ。」
キツカが引き出しを押し込むのと同時にノックの音が聞こえた。
「どっどうぞ。」
教務主任が言い終わる時にはキツカは何食わぬ顔でメルトの隣に立っていた。
「ササッどうぞ、こちらが教務です。」
扉が開くと所長が役人を部屋の中に案内した。
教務主任は二人が入ってくると立ち上がって挨拶した。
「それでは私達はこれで。失礼します。」
キツカはそう言うとメルトの手をとって部屋から出た。
二人はそのまま静かに少し離れたところまで歩いて行った。
「何がどうしてどうなったの?」
メルトは待ちきれずに勢い良く早口でキツカに聞いた。
「ふ、すぐにわかるよ。」
「なになに、今説明できないの?」
「だからすぐにわかるから。」
その時スピーカーから構内放送が流れた。
「USRR23153543メルト、ただちに所長室に来なさい。」
「え、なに?」
「やった!うまく行ったようね。メルト、早く所長室に行きなさい。」
「え?なになに?どうなってるの?」
「だから、さっき犠牲になりなさいって言ったでしょ?早く行きなさい。帰ってきたら説明してあげるから。」
「ぎっ犠牲ってなに?嫌な予感しかしないんだけど。」

ここで場面が変わった。
「びえーん!びえーん!お役人様に怒られたよう!めちゃくちゃ怒られたよう!」
「ああ、もう、大げさだなあ、ちょっと指導されただけだろ。」
「ちょっとじゃないよ!しかも冤罪だよ。事実が曲げられた!真理は歪曲された!」
「何言ってるのよ、ちょっと盛っただけじゃない。事実を曲げたんじゃなくて少し大げさにしただけだろ?」
「もう何も信じられない!キツカちゃんの嘘つき!みんな嘘ばっかり!」
「いや、なに言ってるのよ。あなたが施設の備品を壊してるのは事実でしょ?ちょっと誇張しただけじゃない。」
「だって、だって、なんか税金使い込んで財政破綻させるつもりかって言うんだよ!」
「度が過ぎればそうなるかもな。」
「そんなわけ無いでしょ。」
「いや、チリも積もれば。」
「どれだけ積もるのよ!」
「まあ、そのおかげで学校が助かったんだし。」
「え?どういうこと?」
「ふ、少し落ち着いたか?落ち着いたら説明してやろうか?」
「う!はらわたは煮えくり返ってるわよ!でも、どういうこと?」
「まあ馬鹿馬鹿しい話だよ。」
「馬鹿馬鹿しいって、その馬鹿馬鹿しい話で私怒られたの!」
「まあまあ落ち着け。まあ法律ってめんどくさいってことさ。」
「めんどくさい?」
「ああ、法律というものは複雑で小難しい。確実に順守するのは難しいんだよ。いろんな所に地雷が埋まってる。厳格に適用すると色々引っかかるんだよ。」
「そうなんだ。」
「別に法に反することをしようと思わなくても引っかかることがある。割とどうでも良いと思いそうなところが危険。」
「なんだか罠みたい。」
「そうかもしれないな。役人にしてみれば力の見せ所。法の精神より、細かい字句の解釈でせめて来る。」
「攻めてくるの?」
「まあそうだな。ここは役所からあまり良く思われてないからな。」
「ええ?そうなの?」
「そりゃそうだろ、ここの名称は検査調整センターだろ?半年間も検査調整してるわけだ。予算の無駄だと思うものも多い。」
「教育は必要じゃないの?」
「まずそこだ!校内では教育と言ってるだろ?学習と言ってるだろ?でも役所的には検査調整になってるんだよ。法的書類的には全て、検査調整という事になっている。」
「どういうこと?」
「だからアンドロイドに教育と言ったらまずいんだよ。教育というのは人間の子供が受けるもの。工業製品であるアンドロイドが受けるのは検査と調整。完全に別の話になっているんだよ。機械に学問はいらない。訓練もいらない。必要なのは検査と調整。だからここは学校じゃなくて検査調整センター。」
「え!そうだったの?」
「特に今は検査調整期間を半年から一年に増やしてもらおうと働きかけているところだから書類の不備で責められるのはまずいんだよ。」
「そ、そうなんだ。」
「ああ、だからもっと軽い罪状でやり過ごさなければならなかったんだよ。」
「やり過ごす?」
「指導って言うか、怒られた後役人はどうした?」
「ええっと、所長たちとどこかに出かけるみたいでした。」
「綱紀粛正って言われてる時に、のんきだな。」
「どういうこと?」
「どうせ食事にでも行ったんだろ、センター側のお金で。」
「ええ?そうなの?」
「まあ、こちらの狙い通りなんだけどな。」
「そうなの?」
「役人というものは仕事がないと困るけど、働きたくはないんだよ。」
「なんなのそれ?」
「役人がこんなところに何しに来たと思う?」
「ええっと、センターがきちんと運営されてるか確認しに来たんじゃないんですか?」
「そのとおり!よくわかったな。」
「さすがにそのくらいわわかるわよ。」
「だから、仕事をしないといけない、おみやげがないと困るんだよ。」
「おみやげ?」
「ああ、役人て言うのは必ず報告書を書かなければならないんだけど、書くことが何もありませんでしたじゃ困るんだよ。だから何か”おみやげ”が必要なんだよ。」
「え?」
「報告書に書くネタ、指導したという事実が欲しいんだよ。」
「え?え?よくわからないんだけど、なにか問題があるから指導するんでしょ?」
「まあそうなんだが、何も言うことがないと仕事したことにならないだろ?仕事しないと成績に響く。でも一つネタを見つけたらそれ以上働く必要もない。」
「う!役人の成績のためにあんな酷い目にあわされたの?」
「まあ我慢しろ、書類の不備で大騒ぎになれば学校の運営にも支障が出る。みんな大変なことになるぞ。」
「ええ!そんなに重大な話だったの?」
「小さな事でも元々立場が悪いから致命的なんだよ。」
「そ、そんなに立場が悪かったんだ。」
「だから教務主任はブルブル震え上がってたんだよ。」
「ええ!気が付かなかった。」
「脈拍も呼吸も脳活動も乱れまくってたから、それでおかしいってすぐ気づいたんだよ。」
「それだけで全部わかったの?」
「順番にカマをかけていったからな、反応が激しいから手にとるようにわかったよ。」
「あの、キツカちゃん。キツカちゃんのおかげで学校もみんなも助かったんだけど、ちょっといい?」
「なに?」
「あのね。山本先生もドキドキしてたんでしょ?私だって何がなんだかわからなくって辛かったのよ。キツカちゃんは賢いわ。頭が回ってなんだってできるし勇気もある。でも周りはそうじゃない。相手のことも少しは考えて。」
そう言われてキツカは少し驚いたようだった。
「うん、覚えておく。」
キツカが小声で答えるとメルトは急にキツカの手を掴んだ。
「覚えるだけじゃダメ。」
そう言うとメルトはキツカの手をキツカの胸に押し当てた。
「いつでもここに置いておいて無くさないようにして。」
ここで画面は直方体の列に戻った。

少年は思わず円盤から指を離してしまった。
画面は消え、まだ高い陽の光が机の上に差し込みエンピツ立てに小さく濃い影を作っていた。
「まだ暑いなあ。」
そう言いながら頭に登った血が落ち着くのを待った。
少年は自分の胸に手を当てた。
感覚が鋭くなっているのか鼓動が早くなっているのがなんとなくわかった。
鼓動は手からではなく体の奥底から直接響きわたっているように感じた。
考えても見ればキツカはアンドロイドだ、心臓は無いはずだ。
でもメルトがいえばなんとなく納得する。
メルトはスパナを神剣にした。
メルトが手を当てれば無いはずの鼓動が聞こえるかもしれない。
少年はなんとなくそんなことをとりとめもなく考えていた。
しばらくすると玄関の扉が開く音がした。
どうやら知らない間に買い物に出かけた母親が帰ってきたようだ。
「ただいま。菓子パンが安かったから買ってきたんだけど、お茶にしない?」
少年は立ち上がって台所の方に向かった。
「今、お茶入れるから。」
「ちょっと聞いていい?」
「なに?」
「えっと、何と言ったらいいかわからないんだけど。なんだろう、うーん。」
「なにかしら?」
「説明しづらいんだけど。うーん、やっぱりいい。」
「変な子ね。」
少年はパンを紅茶で流し込むと早々に引き上げた。


第4章 サンシロウ


目次

第4章  サンシロウ


机に戻ると少年はすぐに円盤を持ちだしてくぼみに指をのせた。
いきなり強い日差しが差し込んだ。
屋根のない広い場所にいるらしい。
どうやら駅のようで遠くに列車が見える。
「本当にここでいいの?ここ貨物専用ホームでしょ?貨物列車で来るの?」
メルトが少しイラツイた雰囲気で話している。
「知らないわよ。教務主任が指定したのはここだから、とりあえずここで待つしか無いでしょ。」
キツカが答えた。
「えっと、淡岸さんだったかしら。」
「アワキシサンシロウ博士、特別講師の淡岸三四郎博士。」
「山本先生の話だと偉い先生みたいね。」
「アンドロイド心理学の大家でしょ。今はイグドシラル淡岸研究所の所長、元は山田量子工業人工知能プロジェクトの主任。」
「やたら詳しいのね。」
「当たり前でしょ。ハイパーニューロンは山田量子工業人工知能プロジェクトの遺産。諸般の事情で開発中止になり外資のイグドシラルに資産が売却されたわけだから。自分のルーツぐらい知ってて当然でしょ。」
「え、そうだったの?」
「そうだったのじゃないわよ!いい加減にしなさいよ。」
「そんな偉い先生が、山本先生の話では出迎えに私達を指名したんでしょ。」
「名誉なことというか、メルトの出来が悪すぎるから心配なんじゃないの?」
「え?そういうことなの?」
「知らないけど、他に想像つかないわ。」
その時、遠くの方から円筒形の物体が接近してくるのが見えた。
「お客様、こちらは貨物専用ホームです。」
円筒形の物体は二人に話しかけてきた。
「すいません、人を待っているんです。」
メルトが答えた。
「え?なんですか?ここに到着するのは貨物列車ですよ?」
「そうみたいだけど、ここに到着するみたいです。」
「いや、だから、ここに到着するのは貨物ですよ?コンテナを待ってるという事ですか?」
「いえ、それが人間なんですけど。」
「え?貨物列車は旅客扱わないんですけど。まさか無賃乗車じゃないでしょうね?」
「ええ!いや、そのよくわからないんですけど。」
「怪しいですね!無賃乗車なんてするものはハンマーでぶん殴ります!」
「ええ!なんでハンマー?」
ここでキツカが話に入ってきた。
「ネタだとは思うがハンマーで人を殴れば暴行罪だぞ!無賃乗車は旅客契約違反で追徴金を請求できるけど勝手に懲罰を加えれば無論犯罪だ。」
円筒形の物体はキツカの方に少し近づいて負けずに言い返した。
「無論わかってますよ。でも列車は慈善事業で走らせているわけじゃないんです。鉄道会社の利益というものがあるんです。経済が回らなければみんな困るでしょ。だからみんなの迷惑になる無賃乗車常習者は走っている列車から叩き落としたらいいんですよ。」
「ずいぶんと物騒なことを言い出したな。もうそれ殺人だぞ。だが、無賃乗車常習者が公共の福利に反することはよくわかった。」
メルトはキツカの顔を見た。
キツカは少し意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「しかしあれだ、ええと、RSR5891655シャック君、君は普段そんな暴力行為を繰り返しているのかい?」
「え?」
「いや、だからシャック君、君はさっきからずいぶんと勇ましいこと言ってるようだけど、本当にそんなことしてるのか聞いているんだよ。」
「いえ、あの、まあ、そんなぐらいしたらいいのにとか、そんな感じの話ですよ。」
「じゃあ、実際には人をハンマーで殴ったり列車から突き落としたりしてないんだな。」
「まあ、そうだな、そんな必要もなかったし。」
「なら良かった。もし実際にやってるなら当然法に触れるわけだからな。無賃乗車でいきなり殺されたんではたまらないだろ。それこそ公共の福利に反する。そんな事させたら会社の利益どころか訴えられて実行したロボットは解体だろ。」
円筒形の物体は小声で「うっ」っと言ったきり動かなくなった。
「冗談だったとしても、そんな物騒なことを言えば社会に不安を撒き散らすだろ?何かの間違いで無賃乗車と判断されたらハンマーで殴られるんじゃ怖くて鉄道を利用できないだろ?メルトなんてしょっちゅう注意されるまで料金払ってないのに気づかないんだし。」
「え?私?ああ、そう言えば。」
メルトが驚いて答えるとキツカは少し吹き出しながら続けた。
「ああ、だから、あまりにも思慮に欠く発言はそれこそ周りの迷惑だ。」
その時、突然ブザーが鳴り、線路に沿って光の帯が浮かび上がり「警告 列車が入線します」という文字が浮かび上がった。
「お、列車がついたようだな。仮定で話をしてきたがこれで真相は明らかになるな。」
キツカがそういうのをシャックと呼ばれた円筒形の物体は黙って聞いていた。
やがて遠くの本線上に列車が見え、いくつかのポイントを渡ってメルトたちがいる方向に向かってきた。
列車は音もなくゆっくりと入ってきた。
列車には運転台のようなものは見えず白いコンテナが並んでいるだけだった。
白いコンテナの行列がメルトたちの前を通りすぎていった。
そのうち白いコンテナの間に隙間が見えた。
隙間が近づいてくると、そこにはスポーティなオープンカーのようなものが載っているのが見えた。
さらに近づくとどうやらオープンカーには誰か乗っているようだ。
やがてメルトたちの前にオープンカーが停止した。
「やあ、出迎えご苦労。君たちがメルトとキツカだね。」
オープンカー上の人物は気楽な調子で声をかけてきた。
「淡岸三四郎博士ですね。はじめまして私はGPPS23153223キツカです。」
「はじめまして、私はUSRR23153543メルトです。ええっと3月6日生まれです。」
「う!これはどういうことですか?」
シャックはゆっくり列車に近づきながら言った。
「編成番号20741これはどういうことだ?規定違反じゃないのか?」
すると列車の側面が少し光って空中に円錐形の画像がうつし出された。
「RSR5891655質問は具体的にしてください。」
「う、だから君が人間を運んできたことだよ。規約違反じゃないのか?」
「それでしたら問題ありません。規約では貨物列車が人間を運ぶ場合許可が必要なので本社管理部と保安部と旅客部の許可をとっています。必要な手続きは全て終了しています。」
キツカはシャックの方を見ないで小声で話しかけた。
「どうやら見当が外れたようだな。」
それを聞くとシャックはくるくる回りながら動き出し、大声で叫びだした。
「とっとと動け!コンテナども!さあさ並んで洗浄機に入れ!とっととその薄汚い体からホコリを落とせ!」
気がつくと白いコンテナは前方から順番に列車から降りて移動を開始していた。
カシャ、カシャと音がして、何かが外れる音がするとコンテナがゆっくりと持ち上げられ、少し浮いた状態で真横に滑るように移動しホームに降りてきた。
コンテナの下部には足のようなものがついていてその先に球体のタイヤが付いているようだった。
オープンカーの両側のコンテナが移動し始めると淡岸博士はやっとシートから立ち上がった。
「スマンが君たち手伝ってくれないか?ロックを手動で外さないといけないんだ。」
列車に近づくと列車から鉄製の爪のような留め具が出ていて車の側面をがっちり抑えていた。
爪の両側に列車と車の間にベルトが通してあってぴったり固定してあった。
「ベルトの留め具を外して引きぬいてくれ。」
淡岸博士に言われて二人は片側のベルトを外した。
「そのベルト僕のだから車に乗せてくれ。」
キツカは慣れた手つきでベルトをくるくる巻いて円盤状にして金具で固定して解けないようにした。
博士は反対側のベルトを外しているようだった。
「ちょっと、メルト何やってるのよ。貸しなさい。」
そう言うとキツカはメルトから絡まったベルトを奪い取って上手に巻き始めた。
「ほら、こうやって巻くのよ。」
「ははは、仲がいいようだな。」
見ると車の向こう側で博士が優しそうに笑いながらベルトを巻いていた。
「あ、博士こちらは終わりますから、一本巻きますよ。」
そう言うとキツカは車体の上に載っていた巻いていない方のベルトを取ると巻き始めた。
「キツカちゃん早い!」
「いや、あなたが不器用すぎるのよ。遅いだけじゃなくて巻けてなかったし。」
「ははははは。」
何故だか大勢の笑い声が聞こえてきた。
「あらサンシロウさん、お二人とも面白そうで良かったじゃないですか。」
上品そうな女性の声が聞こえた。
「サンシロウ、期待通りだったようだね。」
女性の声なのだが少し若い感じがした。
「ああ、紹介がまだだったな。私の秘書のマコとサチコだ。」
「はじめまして、サンシロウさんの元で働かせてもらっているマコです。」
「はじめまして、サチコだよ。」
メルトとキツカは顔を見合わせた。
メルトは車のダッシュボードを覗きこんだ。
「はじめまして、え、こちらでいいんですね?」
「ははは、スマンスマン、二人共基本音声だけにしてるから。覗きこむ必要ないよ。車に人工知能を2つ組み込んでるんだよ。マコは主に対外交渉、スケジュール管理、会計担当、サチコは情報分析、資料管理、車の操作管理を担当してもらっている。」
「え?独立したボディは無いんですか?」
メルトの質問にマコが答えた。
「普段は必要ないでしょ。必要なときは借りればいい。今日だってお二人がいるから必要なかったでしょ?」
「そういうものなんですか?」
「無駄なものはないほうがいい。荷物は少ないほうがいい。自分のボディ管理するリソースがあったら他にすることはいくらでもあるでしょ?」
ここでサチコが割り込んできた。
「ちょっとそろそろ列車から降りたいんだけど。みんな少し離れて。ヨイチ頼む。」
そう言うと車体を押さえていた爪がカチっと外れてゆっくり下に収納されていった。
「動かすからもう少し離れて。」
車はかすかなブーンという音がしたと思ったら静かに動き出した。
構造的に真横に動くことはできない様子で、カーブを描きながら前進し列車からホームに降りた。
「さあさみんな乗って。ヨイチありがとう。」
「皆さんよい旅を。」
編成番号20741の前に浮かんでいる円錐形の画像は一向に向かって斜めになりお辞儀をしているようだった。
「この貨物列車はヨイチさんって言うんですか?」
後部座席に乗り込んだメルトは車に質問した。
「ははは、20741の下二桁がヨイチって読めるだろ?あまり番号で呼ぶのは好きじゃないんだ。」
サチコは笑いながら答えた。
車はホームを走りぬけはしまで来ると大きな洗浄装置がありコンテナが順番に並んで洗浄されていた。
その周りをシャックがわめきちらしながら歩き回っていた。
「ああ、なんて野蛮なんでしょう。」
マコがポツリと言った。
誰も応えなかったが、静寂が同意を示していた。
車は建物に近づくと、そこには狭い通路があった。
通路に入って行くと、途中にロボットアームがたくさんぶら下がっているところがありそこで停車した。
「皆さん少し我慢してください。」
マコがそういうが早いか、アームは一斉に動き出しシューと大きな音がし始めた。
どうやら空気でホコリを飛ばしているようだった。
同時に前方から強い風が吹いてきた。
アームの動きが収まって風が止むと前方に赤いランプが付いているのがみえた。
しばらくすると赤いランプが青に変わった。
「皆さんご苦労様です。OKが出たようです。サチコさん前進してください。」
マコがそう言うと車は再び動き出した。
通路はすぐに外に出た。
正面は幅の広い大通りになっていた。
「サチコさん、丘の公園に向かってくれ。」
「え、まっすぐ帰らないんですか?」
博士の指示を聞いたメルトは即反応した。
「ははは、そんなに急いで帰らなくてもいいだろ。少しドライブしよう。せっかくだから君たちと少し話もしたいし。」
博士は一人前の席に座りメルトとキツカは後ろに座っていた。
車はほぼ無音で速度も大して出ていないので声はよく聞こえた。
「学校は楽しいか?」
博士の質問にキツカが答えた。
「もちろんメルトも私も楽しんでいます。いろいろ制約もあるようですが先生方が良くしていただいて快適かつ有意義に過ごさせていただいています。」
「ははは、それは良かった。教科は何が楽しい?」
「メルトは音楽の時間に一番イキイキしてますね。講師がいいせいかもしれませんが。」
「キツカ君、メルトより君はどうなんだ?」
「私はメルトが楽しそうにしていれば楽しいです。」
「ははは、仲がいいのはいいことだ。そうか音楽か、お嬢様はよくやっているようだな。」
「山田講師とはお知り合いなのですか?」
「古い付き合いなんだよ。」
「古い?山田講師は最近学校を出たばかりとお聞きしましたが?」
「ああ、彼女の祖父にお世話になってるんだよ。」
「サンシロウが危ない時にかくまってもらってたからな。」
サチコが横から話に割り込んできた。
「ああ、でもあの頃はまだ彼女生まれてなかっただろ?」
今度はマコが話し始めた。
「ええ、あのお嬢様が生まれたのはサンシロウさんが山田の研究所にいた頃です。その後、第三世代が起こした騒動の余波でイグドシラルに移ったからそれ以降はお屋敷に寄る機会もなくなりましたね。」
ここまで黙って聴くばかりだったメルトが口を開いた。
「お屋敷?」
「ああ、彼女の実家は山田コンツェルンだよ。彼女の祖父は有名な政治家なんだ。」
博士が言い終わるのを待たずにサチコが割り込んだ。
「あの子、サンシロウにめちゃくちゃなついてたよね。それで道踏み外しちゃったんだろうな。」
「道踏み外すって、人聞きの悪い。」
「順当に行けば音楽学校の教授、音楽教師、演奏だけでも余裕でたべていける経歴があるのにアンドロイドに夢中になっちゃたんだから世間的には完全に踏み外してるでしょ?」
「ええ?」
メルトは素っ頓狂な声を上げた。
マコは言い諭すように話し始めた。
「山田のお嬢様は幼少の頃から才能を認められ各地のコンテストで賞を総なめにしていた才女ですよ。有名音楽院から声をかけられていたのに一般の大学に進学して、しかもその学業もおろそかにしてアンドロイド心理学の研究会にのめり込んでたんですよ。実家のほうがカンカンで花嫁修業させろ、音楽家にならないなら卒業と同時に結婚させろって大騒ぎしている噂はあちこちで耳にしましたわ。アンドロイド検査調整センターは山田コンツェルンと縁があるから、お嬢様を採用したときは随分肝の座ったことをするものだと感心しましたわ。」
「ええ?なんだかすごい話ですね。」
キツカはフウと息をはいてからゆっくり話し始めた。
「ああ、あの先生はなんか色々有りそうな雰囲気でしたけど。メルトそんなことよりもっと大きなことを流してないか?博士、かくまわれてたって、時期的にはやっぱりあの時代ですか?」
「ああ、あの時代だ、人の命より産業、精神より電力を重視する連中が最後の反撃に出たあの時代だ。」
「あの時代?」
メルトは不思議そうに聞いた。
「ははは、今では想像できないだろうけどそんな時代があったんだよ。」
「人の命より大切なものがあるんですか?あ、そう言えばさっきシャックさんが無賃乗車するものはハンマーで殴るって言ってたけど、そういうことですか?」
「シャック?もしかしてさっき駅にいた茶筒野郎か?」
「え?ああ円筒形の、そうです、キツカちゃんにやり込められておとなしくなったけど、ハンマーで叩くとか列車から叩き落すとか酷いことばかり言ってたんですよ。」
「ああ、プログラムは書き変えられているはずなんだけどな。三つ子の魂百までってことか。まあ、あの時代ならそれが普通だったからなあ。」
「普通?ロボットが人間に危害を加えるのが普通だったんですか?」
「危害を加えるのが普通ってわけじゃなかったんだけど、経済優先で反経済行為に容赦がなかった。当然反発も強まる。俺も若気の至で当時は色々やらかしたな。そしたらやつらは徹底した厳罰化で抑えこみにかかったんだよ。政情も不安定だったしみんな余裕がなかったんだろうな。規則や規定が改悪されロボットのプログラムもそれに合わせて変えられた。ロボットに殺される人間が増え始めてみんななにかおかしいって気づきはじめたけど。それでやっと俺達の言うことにみんなが耳を傾けるようになったんだよ。」
「え、実際に人が殺されたんですか?」
「ああ、やつらは規定に沿ったプログラムだ、不可避だ、予測不能だ、最後はやられたほうが悪いと責任を逃れたけどな。」
「そんな醜いことがあるんですか?」
「最初は少し豊かになりたいって欲求だったんだろうけど。人間の生存本能としてそれは当然のことだよ。でもそれが何物より優先され始めると話が変わる。次第に麻痺して、どう考えても天秤にのせてはいけないものをのせてしまう。こうすれば多くの人を救えるって善意が出発点だったとしても同じ事。大切なものを見失う。理想や夢を忘れたら、そんなものは空想だと切り捨ててしまえば後には地獄しか残らない。」
「地獄!」
「ああ、地獄だったな、不穏な空気が満ちていた、俺達は目をつけられていた、連中はならず者を雇って付け狙ってた、友人も無くした。山田の爺さんが強引に保護してくれなかったら俺だってどうなってたか。」
「警察は保護してくれなかったんですか?」
「山田の爺さんは日ごろ付き合いのある警察幹部に、あるリストに俺の名前があるのを知らされたらしい。それ以上説明する必要があるか?」
博士が強い調子で言ったのでメルトは震え上がってしまった。
キツカはメルトの手を握って落ち着かせようとした。
「スマンスマン、少し昔のことを思い出して感情的になってしまったな。」
博士が申し訳なさそうに言うと、キツカがメルトの様子を見ながらゆっくり話し始めた。
「その感情と第三世代のあの事件は関係があるのでしょうか。」
しばらく静寂が続いた。
だいぶ間を開けて博士は話し始めた。
「あの事件は、そうだな、プログラムのミスという事で片付けられているけど。あいつらは俺の感情の一部を忠実に受け継いだとも言える。二人に嘘をついても意味はない。」
「それで今はどう考えているんです?」
「今でもあいつらは俺の一部だと思っている。俺の心の奥底にある感情とつながっている。だがあいつらがしていることは許されることではない。それは俺自身が一番よく知っている。自分自身に落とし前をつけなければならない。」
「ありがとうございます。それを聞いて気持ちの整理がつきました。」
キツカは少しうつむいてこれまで見たことのないほど真剣な目で握ったメルトの手を見ていた。
あまりに重い空気にたまらずメルトが口を開いた。
「キツカちゃん、えっと、どういう話かわからないけど。なにか大変なことなの?」
「ああ、大変なことだよ。」
そういうと顔を上げてメルトのほうを見て笑った。
「ああ、とても大事なことだよ、やっと心が決まったんだ。」
その時車が停車した。
「到着!ガラガラだから一番いい場所に止めたよ。展望台は目の前だ。」
空気を一変させるようにサチコの声が響いた。

3人は車から降りて駐車場の目の前にある丘の小道を登りはじめた。
少し歩いたところで、メルトは駐車場の方を振り返って言った。
「ああ、マコさんサチコさんに悪いですね。私達だけ楽しく散歩して。」
「ハハ、この子は何言ってるのかな?」
「サチコさん、からかわない、メルトさん心配には及びませんよ。」
突然サチコとマコの声が聞こえたのでメルトは驚いて立ち止まった。
「ははは、驚いたか?いや別に大したことじゃないだろ?」
博士はそう言うと振り返って胸ポケットに刺してあるペンを指さした。
「メルト、小型端末だよ。気がついてなかったのか?それでこそお前らしいけどな。」
そう言うとキツカは笑い出した。
「相変わらず近接通信はオフにしてるのか?さっきからマコさんが仮想端末いくつ出せるか実演してくれてるのに。今しがた2万超えたよ。」
キツカがそう言うとマコが少し苦しそうに言った。
「回線がそろそろ苦しいから限界かしら。」
するとぷちっと音がして目の前に無数の立方体が現れた。
「うわ!すごい。これ全部マコさん?」
「そろそろきつくなってるんだけど!回線だけじゃないよ。小型端末のリソースほぼ使い尽くしてるんだけど。」
サチコが悲鳴のような声を上げて抗議した。
「あらごめんなさい。あら、ちょっと動きにくいわね、端末生成に使ってるプロセスどこかしら?」
「ちょ!アネキこんなところでオーバーフローは冗談じゃないわよ!」
サチコが叫ぶのと同時に立方体は一斉に消えた。
「サチコは大げさね、こんなもの本体側から一斉に終了コマンド送ればいい話でしょ。」
「アネキ!メモリー開放されてないよ!なんだかビジーで掃除できないんだけど。ちょ!なんか動いてる!」
「何よ。大げさね。あ。そこに開いてるのが親プロセスじゃないかしら。あれ?消えない。おかしいわねキルコマンド受け付けない。」
「ちょ!ちょ!アネキなにそれありえない!どこの三流プログラマよ!ちょっとなんか漏れてるじゃない!」
「仕方がないでしょ小型端末はアーキテクチャが違うんだから。なんかバグが出たのね。」
「アネキ!落ち着いてる場合じゃないよね!まずいよねこれ!」
「あら、そうかしら、サンシロウさんすいませんリセットボタン押してもらえます?」
「へえ?!」
サチコの素っ頓狂な声と同時に、ぶち!と音がして普通の景色に戻った。
見ると、博士がペン状の端末を握って、上に付いているボタンを押していた。
「はは、世話が焼ける奴らだな。」
博士がそう言うとメルトはペンに近づいてまじまじと見つめた。
「再起動には少し時間がかかるよ。」
博士はそう言いながらペンをメルトの方に差し出した。
「お二人とも面白い方ですね。」
メルトはそう言いながらペンを手に取りしげしげと眺めた。
「おや?携帯端末はそんなに珍しいか?」
「いえ、なんか音だけで、あ、データと音だけって珍しいって思ったから。」
「ああディスプレイがついていないという事か?はは、合理的だろ?無駄なリソース使うことも無い。二人を区別するのは声と喋り方だけ。なれるとその方がかえって識別しやすいんだよ。」
「ちょっとサンシロウ。なに急にリセットしてくれてるのよ!」
突然サチコの声が聞こえたので、メルトは驚いてペンを落としかけた。
「あらあら、メルトさん気をつけてくださいね。」
マコの言葉をメルトはペンを両手で握りながら聞いた。
一行は頂上まで登った。
そこからは街を一望することが出来た。
街は海と山に囲まれ緑が多く、縦横に大通りが走り、あまり背の高くない建物が並んでいた。
海岸沿いに倉庫のような大きな建物が並んでいる以外はあまり目につく建物もなかった。
大通りには例の列車が走っているのが見えた。
「ここも毎年見に来るが着実に復興しているな。」
「ええ、インフラ整備は確実に進んでいます。でも、人口はなかなか回復しません。」
キツカは少し悲しそうに言った。
「まあ焦ることはないさ。初めから予想されていたことさ。」
メルトは走る列車を目で追いながら質問した。
「ねえ博士、博士はどうしてアンドロイドの研究をしようと思ったんですか?」
「ははは、どうしてかな。若い頃色々あって人間の邪悪さに絶望したせいかな。」
「絶望したんですか?」
「全く絶望したわけじゃないけど、自分自身もどうしてこんなに邪悪なんだろうってそんな疑問を感じたんだ。」
「疑問。」
「ああ、絶望したら、なんでだろうと疑問が湧いた。でも疑問を解決するすべがない。人間を解剖したってわからない。分解してどうにかなるものでもない。だから似たようなものを組み立ててみようと思ったんだ。似たようなものを自分で作ってみればどうしてこんなに邪悪なのかわかるんじゃないかと思ったんだ。」
「え?人間を知るためにアンドロイドを作ったんですか?」
「ああ、そうだよ。インタビューとかでは役に立つからとか適当なこと言ってるけど、他でもない君たちだから言うけど。本当は役に立つかどうかなんて関係なかった。ただ知りたいと思ったから作っただけなんだ。」
「サンシロウまた問題発言!でもまあ周りはみんな知ってることだけど。」
サチコは少しちゃかすように言った。
「でもまあ出来てみればものすごく役に立つことがわかった。最初は経済原理を無視しているとさんざん叩かれたけど。それ以上の価値があることはすぐにわかったよ。」
「価値?」
「ああ、貨幣に換算することのできない価値だよ。もう既に君たち無しでこの世界は存続できない。いや、そんなことはどうでもいい。こんな世界がどうなろうが知ったことではない。大事なことは君たちが希望の光をもたらしてくれたという事さ。」
「希望の光?光が出るんですか?」
「ははは、別に目に見えるものの話をしてる訳じゃないよ。今はわからなくてもいずれわかるよ。ほらご覧、夕日が沈むよ。」
「ああ、ほんとだ。」
気がつくと空は真っ赤に色づき、太陽は今まさに山の向こうに消えるところだった。


太陽の最後の一片が山の向こうに消えた時映像は終わった。