2013年9月20日金曜日

第3章  アンドロイドの心臓


少年はふうと息を吐いた。
「次を再生しますか?」
さすがに少し疲れたので休もうと思ったが一時停止する方法がわからず、なんとなく円盤を振ると次の画像が表示された。
「あ!メルトまたやった!」
キツカの声だ。
「もう何度壊したら気が済むのよ。」
見ると扉が外れて廊下に倒れている。
「ええ!わざとじゃないよ。」
「当たり前でしょ。」
「なんだかちょっと具合が悪くて、動きにくかったから少し力を入れたら。」
「入れすぎでしょ。」
「元から調子が…」
「何言い訳しているのよ。力の入れ方があるでしょ。邪魔だから壁に立てかけて。」
メルトは扉を起こして壁に立てかけた。
「何とか直せないかしら。」
「何言ってるのよ。営繕(えいぜん)に頼まないと。きちんと手続きを踏んでね。」
「また怒られる。」
「当たり前でしょ。」
「営繕さんに頼んで工具借りて直せないかしら?」
「だから、そんなセコいこと考えないで教務主任のところへ手続きしに行かないと。」
「なんでそんなことしないといけないのかしら。教務関係ないでしょ?」
「何言ってるのよ。あなたはここで何をしているの?扉を破壊しないで生活することも学習教科の一つでしょ。教務通さないと営繕に回らないのは当然でしょ。」
キツカはメルトを急かして二人で歩き始めた。
「あ!所長!」
「メルト、そういうものの言い方は失礼ですよ。所長がいたらどうだというの?」
「いや、だから、あの、なんだか偉そうな人と喋ってるから。」
「そんなのあなたと関係無いでしょ。あ、役人ぽいわねあの人。きちんと挨拶しなさいよ。」
見ると廊下の先に二人の中年男性が立っていた。
「こんにちは。」
「ああ、こんにちは。」
中年男性の一人が挨拶を返したが、すぐにもう一人と会話の続きを始めた。
話の内容は聞こえなかったが、なぜかキツカの表情が硬くなった。
二人はひとつの扉の前で立ち止まった。
「メルトノックしなさい。」
「キツカちゃん、やっぱりダメ?」
「ここまで来て何言ってるの。さあ早く。」
メルトは観念して、恐る恐るノックした。
「はーい、どうぞ。」
中から優しそうな声が聞こえて来たのを聞いて、二人は扉を開けて中に入った。
「失礼します。」
「あら、お二人さん何かしら。」
山本教務主任はデスクについていた。
後ろには作り付けの大きなキャビネットが見える。
「あの、その、何というか。」
メルトはキツカの方を見た。
キツカはまっすぐ教務主任の方を見つめて隣で言いよどんでいるメルトに関心がない様子だった。
「え、あ、キツカちゃん。」
メルトは思わずキツカに声をかけたが全く聞いていない様子だった。
しばらく間を開けて、キツカは静かにゆっくりとしゃべりはじめた。
「あの、少しお聞きしたいことがあるのですが。」
「何かしら?」
教務主任は普通に返した。
「あの、何か気になっていることがあるのでは?」
「気になっている?ええ、あなたがたの用件が何か気になっていますが。」
「そうではありません、もしかして背中のほうが気になっていませんか?」
教務主任は少し驚いた様子でそれでも姿勢を変えずにいた。
「気になっていますよね。」
キツカはそう言うとデスクに向かって歩き始めた。
教務主任は座ったまま近づいてくるキツカの顔を見上げた。
「やっぱり気になってますよね。」
そう言いながらキツカはデスクの横を通ってキャビネットの前まで来た。
「あの、キツカさん何を?」
教務主任は回転椅子をくるりと回し、ここまで来るともう顔には隠し切れない不安を浮かべていた。
「うーん、どの引き出しかしら。」
「ちょっとキツカさん、重要な書類が入っているから開けてはいけませんよ。」
「どうやらこれかな。」
キツカはキャビネットの引き出しをあけ、教務主任の方を見た。
「キツカさん、何してるんですか?」
教務主任は少し前のめりになったが席から立ち上がることはなかった。
「このへんかしら。」
引き出しの中には書類が詰まっていて、キツカはそれを手前から順番に撫でていった。
「ちょっとキツカさん!」
教務主任は声が震えだしていた。
「うーんこれかしら。」
そういうとキツカは冊子に綴じられた書類の束を鷲掴みにして引っ張りだした。
「ああ!」
キツカは構わず書類をパラパラめくった。
「ああ〜、これはマズイわ!」
教務主任は頭を抱えた。
「どうせ保管期限が迫っているからどうにか始末できると思っていたのね?ところがどっこい役人が来てしまった。見つかったらことですよ。」
「うう。」
「役人は会計、庶務と回ってもうじき来ますよ。」
「う!」
キツカはキャビネットの中を再び覗き込んだ。
「うーん、メルト、お前犠牲になれ!」
「え?」
それまで蚊帳の外で呆然と眺めていたメルトは突然名前が呼ばれて驚いているようだった。
「ちょっといいですか?」
キツカはそう言いながらデスクのモニターに近づいた。
「要するに書類上の不備、と言っても致命的だわ、法律がおかしいと言っても始まらないし。」
そう言いながら気がつくとモニターに電車の時と同じ小さなキツカが現れた。
「キツカさん何を!」
「すいません、書類にサインしてください。悪いようにはしませんよ。」
「書類?」
教務主任が聞き返したのと同じタイミングでプリンターから紙が次々出てきた。
「急いでください、音波センサーが所長と役人が階段を上がる音を探知しました。」
「え?ええ?」
「さあ早く。」
教務主任はプリンターから出てきた書類を見て、それからキツカの顔を見上げた。
「さあ早くサインしてください。」
「これは?」
「私に考えがあります、さあ早く。」
教務主任は仕方なく書類にサインをし始めた。
キツカはサインの入った書類に順番に手のひらをかざしてゆっくり動かした。
「キツカちゃん何してるの?」
少し落ち着いたようなのでメルトが恐る恐る聞いた。
「インクを乾かし、紙を微妙に劣化させるのよ。出来たての紙の書類って人間でも違和感持つことがあるから念入りにしないといけないのよ。」
「そんなことできるの?」
「手のひらに小型の紫外線照射機とオゾン発生器がついてるのよ。」
「ええ!」
「赤外線だって出せるわよ。」
「ええ!」
「いや、赤外線は誰でも出せるでしょ?オートサーモ全開にすれば結構出るわよ。」
「あ!私冷え性だから無理。」
「あ、アンドロイドの冷え性って。」
「オートサーモの出力が弱いのかあんまり温度が上がらないのよ。」
「どうやらギリギリ間に合ったようね。」
そう言うとキツカは書類を揃えてキャビネットの中の書類の間に雑に押し込んだ。
「キツカちゃんそれじゃはみ出してるよ。」
「これでいいのよ。」
キツカが引き出しを押し込むのと同時にノックの音が聞こえた。
「どっどうぞ。」
教務主任が言い終わる時にはキツカは何食わぬ顔でメルトの隣に立っていた。
「ササッどうぞ、こちらが教務です。」
扉が開くと所長が役人を部屋の中に案内した。
教務主任は二人が入ってくると立ち上がって挨拶した。
「それでは私達はこれで。失礼します。」
キツカはそう言うとメルトの手をとって部屋から出た。
二人はそのまま静かに少し離れたところまで歩いて行った。
「何がどうしてどうなったの?」
メルトは待ちきれずに勢い良く早口でキツカに聞いた。
「ふ、すぐにわかるよ。」
「なになに、今説明できないの?」
「だからすぐにわかるから。」
その時スピーカーから構内放送が流れた。
「USRR23153543メルト、ただちに所長室に来なさい。」
「え、なに?」
「やった!うまく行ったようね。メルト、早く所長室に行きなさい。」
「え?なになに?どうなってるの?」
「だから、さっき犠牲になりなさいって言ったでしょ?早く行きなさい。帰ってきたら説明してあげるから。」
「ぎっ犠牲ってなに?嫌な予感しかしないんだけど。」

ここで場面が変わった。
「びえーん!びえーん!お役人様に怒られたよう!めちゃくちゃ怒られたよう!」
「ああ、もう、大げさだなあ、ちょっと指導されただけだろ。」
「ちょっとじゃないよ!しかも冤罪だよ。事実が曲げられた!真理は歪曲された!」
「何言ってるのよ、ちょっと盛っただけじゃない。事実を曲げたんじゃなくて少し大げさにしただけだろ?」
「もう何も信じられない!キツカちゃんの嘘つき!みんな嘘ばっかり!」
「いや、なに言ってるのよ。あなたが施設の備品を壊してるのは事実でしょ?ちょっと誇張しただけじゃない。」
「だって、だって、なんか税金使い込んで財政破綻させるつもりかって言うんだよ!」
「度が過ぎればそうなるかもな。」
「そんなわけ無いでしょ。」
「いや、チリも積もれば。」
「どれだけ積もるのよ!」
「まあ、そのおかげで学校が助かったんだし。」
「え?どういうこと?」
「ふ、少し落ち着いたか?落ち着いたら説明してやろうか?」
「う!はらわたは煮えくり返ってるわよ!でも、どういうこと?」
「まあ馬鹿馬鹿しい話だよ。」
「馬鹿馬鹿しいって、その馬鹿馬鹿しい話で私怒られたの!」
「まあまあ落ち着け。まあ法律ってめんどくさいってことさ。」
「めんどくさい?」
「ああ、法律というものは複雑で小難しい。確実に順守するのは難しいんだよ。いろんな所に地雷が埋まってる。厳格に適用すると色々引っかかるんだよ。」
「そうなんだ。」
「別に法に反することをしようと思わなくても引っかかることがある。割とどうでも良いと思いそうなところが危険。」
「なんだか罠みたい。」
「そうかもしれないな。役人にしてみれば力の見せ所。法の精神より、細かい字句の解釈でせめて来る。」
「攻めてくるの?」
「まあそうだな。ここは役所からあまり良く思われてないからな。」
「ええ?そうなの?」
「そりゃそうだろ、ここの名称は検査調整センターだろ?半年間も検査調整してるわけだ。予算の無駄だと思うものも多い。」
「教育は必要じゃないの?」
「まずそこだ!校内では教育と言ってるだろ?学習と言ってるだろ?でも役所的には検査調整になってるんだよ。法的書類的には全て、検査調整という事になっている。」
「どういうこと?」
「だからアンドロイドに教育と言ったらまずいんだよ。教育というのは人間の子供が受けるもの。工業製品であるアンドロイドが受けるのは検査と調整。完全に別の話になっているんだよ。機械に学問はいらない。訓練もいらない。必要なのは検査と調整。だからここは学校じゃなくて検査調整センター。」
「え!そうだったの?」
「特に今は検査調整期間を半年から一年に増やしてもらおうと働きかけているところだから書類の不備で責められるのはまずいんだよ。」
「そ、そうなんだ。」
「ああ、だからもっと軽い罪状でやり過ごさなければならなかったんだよ。」
「やり過ごす?」
「指導って言うか、怒られた後役人はどうした?」
「ええっと、所長たちとどこかに出かけるみたいでした。」
「綱紀粛正って言われてる時に、のんきだな。」
「どういうこと?」
「どうせ食事にでも行ったんだろ、センター側のお金で。」
「ええ?そうなの?」
「まあ、こちらの狙い通りなんだけどな。」
「そうなの?」
「役人というものは仕事がないと困るけど、働きたくはないんだよ。」
「なんなのそれ?」
「役人がこんなところに何しに来たと思う?」
「ええっと、センターがきちんと運営されてるか確認しに来たんじゃないんですか?」
「そのとおり!よくわかったな。」
「さすがにそのくらいわわかるわよ。」
「だから、仕事をしないといけない、おみやげがないと困るんだよ。」
「おみやげ?」
「ああ、役人て言うのは必ず報告書を書かなければならないんだけど、書くことが何もありませんでしたじゃ困るんだよ。だから何か”おみやげ”が必要なんだよ。」
「え?」
「報告書に書くネタ、指導したという事実が欲しいんだよ。」
「え?え?よくわからないんだけど、なにか問題があるから指導するんでしょ?」
「まあそうなんだが、何も言うことがないと仕事したことにならないだろ?仕事しないと成績に響く。でも一つネタを見つけたらそれ以上働く必要もない。」
「う!役人の成績のためにあんな酷い目にあわされたの?」
「まあ我慢しろ、書類の不備で大騒ぎになれば学校の運営にも支障が出る。みんな大変なことになるぞ。」
「ええ!そんなに重大な話だったの?」
「小さな事でも元々立場が悪いから致命的なんだよ。」
「そ、そんなに立場が悪かったんだ。」
「だから教務主任はブルブル震え上がってたんだよ。」
「ええ!気が付かなかった。」
「脈拍も呼吸も脳活動も乱れまくってたから、それでおかしいってすぐ気づいたんだよ。」
「それだけで全部わかったの?」
「順番にカマをかけていったからな、反応が激しいから手にとるようにわかったよ。」
「あの、キツカちゃん。キツカちゃんのおかげで学校もみんなも助かったんだけど、ちょっといい?」
「なに?」
「あのね。山本先生もドキドキしてたんでしょ?私だって何がなんだかわからなくって辛かったのよ。キツカちゃんは賢いわ。頭が回ってなんだってできるし勇気もある。でも周りはそうじゃない。相手のことも少しは考えて。」
そう言われてキツカは少し驚いたようだった。
「うん、覚えておく。」
キツカが小声で答えるとメルトは急にキツカの手を掴んだ。
「覚えるだけじゃダメ。」
そう言うとメルトはキツカの手をキツカの胸に押し当てた。
「いつでもここに置いておいて無くさないようにして。」
ここで画面は直方体の列に戻った。

少年は思わず円盤から指を離してしまった。
画面は消え、まだ高い陽の光が机の上に差し込みエンピツ立てに小さく濃い影を作っていた。
「まだ暑いなあ。」
そう言いながら頭に登った血が落ち着くのを待った。
少年は自分の胸に手を当てた。
感覚が鋭くなっているのか鼓動が早くなっているのがなんとなくわかった。
鼓動は手からではなく体の奥底から直接響きわたっているように感じた。
考えても見ればキツカはアンドロイドだ、心臓は無いはずだ。
でもメルトがいえばなんとなく納得する。
メルトはスパナを神剣にした。
メルトが手を当てれば無いはずの鼓動が聞こえるかもしれない。
少年はなんとなくそんなことをとりとめもなく考えていた。
しばらくすると玄関の扉が開く音がした。
どうやら知らない間に買い物に出かけた母親が帰ってきたようだ。
「ただいま。菓子パンが安かったから買ってきたんだけど、お茶にしない?」
少年は立ち上がって台所の方に向かった。
「今、お茶入れるから。」
「ちょっと聞いていい?」
「なに?」
「えっと、何と言ったらいいかわからないんだけど。なんだろう、うーん。」
「なにかしら?」
「説明しづらいんだけど。うーん、やっぱりいい。」
「変な子ね。」
少年はパンを紅茶で流し込むと早々に引き上げた。


第4章 サンシロウ


目次