2013年9月20日金曜日

第2章  勇者メルト


少年は窓を見た。
真夏の昼過ぎの日差しが窓枠の下側を焼いていた。
その明るさが脳を突き刺すように感じた。
少年は再び直方体の列の方を見た。
「次を再生しますか?」
「再生。」
少年が指示するとすぐに画像が出た。
「ケイトちゃんケイトちゃん、ちょっと待って。キツカちゃんが山田先生と少し話しているの。」
前方を数人の男女が歩いておりその内の一人、おそらくケイトが振り返った。
前方には門越しに大きな通りが見える。
「え、あ、じゃあ次の電車は見送ったほうがいいかな?時間的には余裕があるから大丈夫でしょ。」
ケイトはピンクのかわいいエプロンをつけているが、周りの男女はそれぞれバラバラの格好をしている。
一行が門のところでしばらく立ち止まっていると誰かが、「あ!電車が来た!」といった。
遠くの方から道路の真ん中を列車が走ってくるのが見えた。
「あーあれは見送りね。まあ大丈夫だから。」
ケイトがそう言い終わる前に列車は音もなく走ってきて門の前あたりで止まった。
道路の中ほどには少し高くなったホームのようなものが見える。
列車の各車両には真ん中に一つ大きな両開きの扉がついていてそれが停車と同時に開いた。
少年は近くの街で路面電車を見ているので道路を小さな電車が走っているのは見ているが、いま到着した電車はどう見ても普通の地下鉄や通勤電車ぐらいの大きさがあり、しかも6両も連なっている。
少年が知る路面電車とはあまりに様子が違っている。
さらに少年を驚かしたのは、扉の中から出てきたのは人ではなく白くて四角い箱のようなものだったことだ。
箱は列車から降りるとホームの端のスロープを降りてどこかに行ってしまった。
列車は扉を閉じてすぐにまた音もなく走りだした。
道路には何も走っていなかったがそのうちトラックぐらいの大きさのやはり”白い箱”が走ってきた。
箱には球体の車輪のようなものが片側に3つ、おそらく両側計6つ付いているようだった。
しかし、箱には運転席のようなものは見えなかった。
球体が付いている以外は全くの白い箱だった。
「スマンスマン待たせたか?」
キツカが駆け足でやってきた。
「いえ、時間的に余裕があるから大丈夫ですよ。」
ケイトはそう言うと先頭を切って道路の方に歩き始めた。
道路の真ん中のホームにつくとホームの両側には柵が取り囲んでいた。
ホームは線路を挟んで2つあり、ホームに囲まれた線路は立入禁止の警告があり、道路の路面が切れて穴になっていてレールが露出していた。
レールは少年が知っているものより大きく、真っ黒で、車輪が接するところだけ銀色に光っていた。
レールは巨大な鋼鉄製の台にがっちり挟まれて固定されていた。
台はコンクリートの上にがっちり固定されているようだった。
ふと気がつくと向かいのホームに音もなく列車が入ってきた。
わずかにブザーの音は聞こえるがそれ以外は何も聞こえてこない。
少年は少し違和感を感じたが、すぐにその原因がわかった車体の割に車輪が小さいのだ。
大きな車体に路面電車としても少し小さめの車輪で車高が低くなっていた。
不意に目の前に漫画のようなキャラクターが現れた。
よく見ると電車をデフォルメしたようなキャラで目や口があり立体的に見えるようだった。
「毎度ご利用ありがとうございます。浜車庫行きまもなく到着いたします。ご利用の方は青い光の位置にお並びください。」
見ると線路側の柵が青く光っていた。
「浜小学校には何時に到着しますか?」
ケイトがそう聞くと、
「浜小学校停留所到着予定時間は10時32分です。ただし市内中心部を通るので交通状況により遅れる場合があります。」
電車のキャラクターは流暢に答えた。
「遅れると言っても今の時間混み合ったりしないわよね?」
「確かにこの時間混むことはありませんが他路線で若干ダイヤの乱れがありますので影響を受けるかもしれません。編成番号65021がお答えしました。」
「約束の時間は11時なのでまあ大丈夫でしょう。」
ケイトがそう言ううちに列車が入ってきた。
列車が停車すると大きな扉と外の柵が同時に開いた。
一行が乗り込むと扉の周辺は広く開いていた。
扉の周辺には座席がなく奥の方に小さな座席が見えるだけだった。
乗客は座席に人間らしき人影が見える以外は白い箱ばかりだった。
白い箱は整然とかたまっている。
「お客様、料金をお支払いください。」
見ると扉の脇にモニターがあり、そこに先ほどのキャラクターが映っていた。
「またメルトだろ?」
キツカがメルトの方をにらんだ。
「え?あ!すいません。」
そういうと画面の右端に古風ながま口財布の絵が写り、そこからコインが出るアニメーションが流れ、チャリンと音がした。
どうやらメルトは運賃の支払いシステムをオフにしていたらしい。
一行は乗り込んだ扉の後方に空きがあったのでそこに陣取った。
扉が閉まると列車は音もなく走りだした。
車窓の風景が後方に流れて行かなければ動いているのがわからないほど静かだった。
一行はポツポツ世間話をしていたが小声でも十分聞こえる。
次の駅について扉が開いた時不思議なことが起こった。
整然と並んだ白い箱の一つが扉のところに行きそこで降りるでもなく止まっていた。
「お客様、扉が締まりますので扉から離れてください。」
モニターに映ったキャラクターが話しかけた。
扉の前の箱は少し左右に揺れると後退して元の場所に戻っていった。
次の駅でも今度は別の箱が扉の前に行き同じ事を繰り返した。
気がつくとキツカは移動する箱と整列している箱たちを代わる代わるにらんでいた。
三駅目でついにキツカが動き出した。
前と同じようにまた別の箱が扉の前に来るとキツカは近づいていって軽く小突いた。
「ちょっと何やってるのよ。」
キツカがまくし立てると箱は慌てて後ろに下がった。
キツカはモニターに向かって質問した。
「編成番号65021、現在の運行状況は?」
「現在標準ダイヤにたいして2分35秒の遅れです、現在回復に向けて計算処理を行なっています。」
「中央通り3丁目10時20分発のフェリーターミナル行き急行に間に合うか?」
「現在回復に向けて努力していますが現在のペースでは中央通り3丁目には10時20分に到着します。」
「それじゃ間に合わないだろ?」
メルトはケイトに小声で話しかけた。
「キツカちゃんどうしたの?フェリーターミナル行きには乗らないわよね?」
ケイトはメルトの方に向き直し、少し呆れた様子で声を潜めて話しかけた。
「メルトちゃんちょっと黙ってて。理由はすぐにわかるから。」
モニターに映った編成番号65021番は少し考えてから答えた。
「急行側も少しダイヤに乱れがあるようです。」
「少しおじゃましていいか?」
「お客様、質問の意味が…」
編成番号65021が答え終わらないうちに、突然モニター内に目つきの悪い女性のキャラクターが現れた。
「お客様、会社のシステム内に勝手に仮想端末を入れられては困ります。この端末は部外者立ち入り禁止です。グラフィックサーバーから出てください。」
「だからおじゃますると断っただろ?そんなことより急行を呼び出せ。」
キツカと電車はモニター内で会話し始めた。
「該当の急行は列車番号110301担当は編成番号67064、呼び出します。」
そう言うとモニターにもうひとつ電車のキャラが映しだされた。
「ご利用ありがとうございます。編成番号67064です。」
「お前が急行か?ちょっと聞きたいことがある。中央通り3丁目にはいつつく?」
「え?ああ、本列車は西町9丁目で交通事故の影響で5分遅れましたが、その後2分遅れまで回復しています。この先停車場で停車時間を短縮することでさらに回復する見込みです。」
「回復しなくていい。」
「お客様何をおっしゃられるのかわかりません。規定により遅延は可能な限り迅速に回復するよう決められています。」
「市街区で回復しなくても郊外区でいくらでも回復できるだろ?」
「運行上他の列車にも影響が出てしまいます、規定上もそのようなことはできません。」
「そう固いことをいうな、無理に急げば危ないだろ?」
「危険はありません、乗客の動きはすべてセンサーで確認していますし、ダイヤには余裕が見てありますから。」
「うう、石頭め。それでいつ中央通り3丁目につくんだ?」
「順調にいけばあと一分回復して10時21分につくものと予想されます。」
「うーん一分か。厳しいな。」
そういうと目の前に立っているキツカとモニターのキツカは同時に振り返って並んだ箱のほうを見た。
「おい、TH8563ちょっとこい。」
二人のキツカが声を揃えて箱を呼んだ。
しばらく沈黙が続いたが少し間を開けて箱の列の中からひとつの箱がゆっくり動き出した。
近づいて来た箱をよく見ると上面に鉢巻を巻いたタコが荷物を担いでいる絵が見えた。
「いつもニコニコタコハチ急行便です。なにか御用でしょうか?」
何か場違いな営業口調で箱が話しかけてきた。
「はあ?さっきからいつもニコニコって雰囲気じゃなかったろ?まあいい、ちょっとついてこい。」
そう言うとキツカは列車の進行方向に向かって歩き始めた。
「え?キツカちゃんどこに行くの?」
メルトが聞くとキツカの代わりにケイトが小声で
「黙って付いて行きましょ。」と言った。
アンドロイドの一行はキツカと箱の後ろにぞろぞろついていった。
座席の前を通る時、座っている老婆が不思議そうに一行を見上げていた。
車両の端まで行くと車両の間は広い通路でつながれていた。
音や振動は無いが連結部はわずかだが上下左右に動き列車が走っていることを示していた。
キツカは構わず隣の車両に移っていった。
一行も後に続き、ずんずん進んで列車の先頭まで来た。
列車の先頭は大きな窓といろいろな装置があるのが見えるが運転席は見当たらなかった。
キツカは一番前の扉の脇で立ち止まり振り返った。
「ここが一番近いな。」
「ここがスロープに一番近くなります。急行がつくのは交差点を左側に回ったところです。」
見るとモニターには先程の三人も移動してきているようでした。
「今の段階で急行の予定到着時刻は?」
モニターの中のキツカが聞いた。
「若干乗降に手間取って10時21分ごろになります。」
「相変わらずギリギリだな。列車到着後は信号機が連動して急行の到着する停車場にすぐいけるんだろうな。」
「それは間違いありません。急行が優先されますので交通信号も連動して変わります。交通管制システムの予測ではホームからホームまでノンストップで移動できるはずです。」
どうやらキツカさんは移動している間も列車や交通管制と直接交渉していたようだ。
「申し訳ありません、私のためにこのようなことを。」
箱が申し訳なさそうに言った。
「いや、なに、大したことではない。お前を助けたと言うよりあいつらのやり方が気に入らなかっただけだ。」
キツカは箱を見下ろしながらそう言い終わるとモニターの方を見た。
「それで先程いったデータは収集できたか?」
「現在本社サーバと交渉中です。現在データの取り扱いについての許可を待っています。社外交渉は本社サーバが一括しているので指示を待っている状態です。」
モニターの中の電車が答えた。
なにやら知らぬまに大事になっているようだ。
「くどいようだがこれは立派な運行妨害だろ?それも集団で意図的に行われた。管理している企業の責任は免れないはずだろ?」
モニターの中のキツカさんが語気を荒げた。
どうやらコンピュータの中でかなりやりあっているらしい。
「まもなく中央通り、中央通り3丁目に到着いたします。」
「急行は?」
「現在中央通り2丁目に停車中です。」
「ギリギリ間に合うか?」
その時扉が開いた。
キツカは扉のところまで箱と進んでいき送り出した。
箱はホームに降りてそのままスロープを降りた。
信号はどうやら歩行者信号が全部青になっていて、箱はそのまま通りの左側のホームに上がっていった。
「当列車は急行待ちのためしばらく停車します。」
その時歩行者信号が一斉に赤になった。
「ギリギリだったな。」
キツカがそう言うと青信号になった中央通りの車が一斉に動き出し、目の前を横切っていった。
これまでより交通量が多いようだ。
しかし、やはりほとんどの車には運転席が見えない。
歩行者もちらほら見えるが中央通りという割には閑散としていた。
その中を急行列車が横切っていった。
「ああ良かった、間に合った。」
開いた急行列車の扉の中に箱が入っていくのを見てキツカが言った。
「ご苦労様。」
ケイトがキツカに声をかけた。
列車が動き出し道路を横断する時一同は皆中央通りの急行が走り去った方を見ていた。
「タコハチ急行便って、最近生鮮品配送で急速に業績を伸ばしている業者でしょ?」
ケイトがキツカに話しかけた。
モニターの中ではいつの間にかメンバーが4人に増えてなにか話し合っているようだが、外のキツカはケイトの方に向き直って話し始めた。
「ああ、あまり評判が良くないらしい。鉄道会社の本社サーバの運行管理部門は過去にも似たような事例があることを把握しているみたい。いま支社サーバから営業担当が来て事情を確認中。近接通信と映像の記録があるから会社としてどう対応するか検討中。運行妨害か営業妨害で告訴まではいかなくても警告ぐらいは行くんじゃないか?」
「警告?」
「ああ、いきなり荒事にしないで今後告訴もあり得ると警告して改善を求めるんだよ。」
「ずいぶん大事になっているのね。」
「意図的に列車の運行を妨害したんだから当然だろ?」
さすがに我慢できずにメルトが割り込んだ。
「あの、あの、なにがどうなってるの?」
「う、何がどうのと問われても。メルト、どこまで把握している?」
キツカはメルトの方に向かって聞き返した。
「どこまでって、ええっと、タコハチ急便さんが、えっと、キツカちゃんがずんずん歩いて…」
「わかったわかった初めから説明したほうが良さそうだな。おまえ、公衆近接通信オフにしていただろ?」
「ええ、がちゃがちゃうるさいのであまり使わないようにしてるから。公衆近接通信で何かあったの?」
「あいつら、基本サーバーと常時接続して調和協調コントロールされてるけど、結構公衆近接通信で直接情報交換してるんだよ。」
「それはなんとなく知ってる。というかそれがうるさいから切ってる。」
「ああ、その習慣は考えなおしたほうがいいぞ。今時あらゆる作業に調和協調コントロールされたロボットが使われてる。アンドロイドなら最前線で奴らを使う側に回るんだから。奴らの生態に接しておいたほうがいいぞ。」
「生態?」
「まあ奴らは単純な機械だが、制御用のパラメータを少しいじっただけで行動が大きく変わる。いろいろ癖があるから注意しないといけない。」
「注意?」
「ああ、例えばさっきみたいないじめとか。」
「いじめ?えっと、あの子たちは単純なアルゴリズムで動いてるんでしょ?いじめなんて複雑な行為に思えるけど。それに調和協調コントロールされてるのに仲間同士でいじめだなんて。」
「それが起こるんだよ、あいつらは全部タコハチ急行便の配送用自走コンテナだ。同じサーバの調和協調コントロールで制御されて効率的に行動するはずだ。ところが実際には合理的に説明できない行動をする。」
「どういうこと?」
「私達がこの列車に乗った時、あいつら公衆近接通信でちょっとした騒ぎを起こしていたんだよ。TH8563がはやし立てられてた。どうやらTH8563が他の自走式コンテナにヤッカミを受けてたらしい。」
「ヤッカミ?」
「ああ、何と呼んでもいいが、要するにTH8563とサーバの通信内容を何度も無意味に繰り返し発信してたんだよ。公衆周波数帯が飽和するまでよってたかって繰り返してた。」
「飽和するまで?」
「騒がしくてよくわからなかったけど、内容はTH8563が生鮮品を届けたお得意さんに頼まれて荷物を引き受けた、送り先は遠隔地の親戚。で、経路検索したらフェリーの出港時間が迫っていて、これに乗り遅れるとそれ以後も乗り換えが狂って到着が大幅に遅れるというもの。」
「ええ?」
「まあそんな内容を無意味に一斉に繰り返したら不気味だろ?第一そんな情報オープンなところで発信すること自体問題だし。」
「そんなことしたらダメでしょ。」
「当たり前だ、企業にも規定はあるし、顧客情報の取り扱いは法的にも規制されてる。」
「なんでそんなことを?」
「だから、ヤッカミ、ネタミみたいなというか、う〜んちょっと説明しにくいが。」
「ネタミ?コンテナが他のコンテナをねたむの?」
「ちょっといいかしら?」
横からケイトが話に割り込んできた。
「コンテナの立場になって考えてみるとわかり易くないかしら?コンテナはより多くの仕事をするようにプログラムされている。同僚の足を引っ張れば自分の仕事を増やせるでしょ?」
「え?それじゃ会社全体にとってはマイナスじゃないの?」
「そこが重要ね、企業のサーバは企業の利益を最大にするように調整しているけど、個々のコンテナの利害は別。会社の方針でコンテナを競争させるために個々の利益を優先させるように調整しているんじゃないかしら。」
「でもそれじゃ、結局会社の利益を損ねることになりますよね?」
ケイトの話にうなずいていたキツカはここでいきを大きく吸い込んでから少し勢いをつけて話しはじめた。
「会社は利益を追求する。コンテナを競争させれば利益が大きくなると考えたんだろ。実際どうなっているかは把握してない。」
キツカは少し声のトーンを下げて続けた。
「浅はかな考えだ。管理不行き届きだ。少数の人間で中央で管理していると陥りやすい矛盾だな。」
「どうして矛盾に気づかないのかしら?」
「だから、現場で管理するものがいないからだろ?現代ではあらゆるものがオートメイション化されている。でもそれではどうしようもないことも多い。」
「そういうものなんだ。」
「そういうものなんだよ。自分が何故生まれてきたのかいい加減自覚をもてよ。」
「ええ?そういう話なんですか?」
「そういう話なんだよ。ハイパーニュロンアンドロイドなんて作るのにどれだけ費用がかかると思っているんだ?単純なロボットが1000機は作れるだろ。わざわざそんなものを作り手間をかけて教育しているのはなんのためだと思ってるんだ?」
「なんのため?」
「だから、ただプログラムされ命令されたとおりにしか動かない機械ではどうしようもないんだよ。独自の判断力を持ち自主自律で対話や行動ができる存在がないと立ち行かない。特に集権的なシステムでは末端まで目が届かない。現代のように社会全体が徹底して自動化されていると社会の存続に関わるほどの大問題。」
「確かにキツカちゃんは、その、法律もよく知ってるし、何でも判断できるけど。」
「いや、そう言う問題じゃないんだよ。法律の知識より大切なものがあるだろ?確かに法律は大切だ。一つの社会の中でみんながバラバラな判断をしていたら不公平や矛盾がたくさん出てくる。だから明文化された法律や規約や契約書それに綱領や宣言が必要になるんだろ。明文化し、それに基づいて判断や行動がなされなければ信頼が生まれない。信頼がなければ社会は成立しない。でも世の中のすべてをもれなく矛盾なく明文化することができると思うか?」
「それは難しいでしょうね。」
「難しいと言うより、無理なんだよ。だから決まり事の趣旨を汲んで判断しなければならないことが多い。でも勝手な判断が横行すると信頼がなくなる。だからいろんな立場から意見を交換し交渉しないといけない。きちんと自分の立場を示して、相手の立場を理解し交渉する。そんなことができるのは自主自律の存在でなければならないだろ?」
「自主自律の存在?」
「はっきりとした自分の立場を持ち、かつ、自らをおさえて相手の立場を尊重できることが要求される。そうでなければ我々に課せられる職務を全うできない。」
「う!なんだか難しそうな話ね。」
「いやいや、難しいと言ってる場合じゃなく、お前も直にやらなきゃいけないことなんだが。」

難しい話が続いたので少年は少し疲れた。
窓の外は相変わらず日差しが厳しそうだが、少しマシになったような気もする。
電柱と青空に焦点を交互に合わせて目の疲れを取りながら考えた。
難しかったがキツカの言っていることはなんだかものすごく納得するものだった。
キツカの行動は、最初は理解できないし、ちょっとやり過ぎじゃないかと思ったが結果を見れば必要なことだったことがわかる。
でもメルト同様自分には到底できることだとは思えなかった。
少年が外を見ながらそんなことを考えているうちにどうやら一行は目的地についたようだ。
「わーい、わーいロボットのおねいちゃんだ!」
どうやら、小学校低学年ぐらいの子供たちに囲まれているようだ。
「ふん、相変わらずメルトは大人気だな。」
キツカが少し呆れ気味にいうのが聞こえた。
「ははは、皆さんお元気でしたか?まあ元気そうですね。」
メルトは子供たちに押され気味だが、それでも懸命に向かって行こうとしているようだった。
その時ケイトが一人の男の子を連れてやってきた。
「あらあら、ケンタくん、お加減はいかがですか?」
男の子はメルトに声をかけられると急に笑顔になりメルトに走り寄ってきた。
「ふふ、ケンタくん、メルトさんに会ったら急に元気になった。」
ケイトは少し離れたところで立ち止まって子供たちとメルトを見ていた。
キツカがケイトの隣に歩いて行きなにか話し始めると突然画面に変化が起きた。
メルトは子供たちの相手をしているのに画面に小画面が開いてキツカとケイトにズームした。
それと同時に音声の聞こえ方が変わって、やはりキツカとケイトの声を増幅しているようだった。
画面には”音声修復中”の表示が出た。
「ケンタくんの経過は?」
「もう限界みたいです。」
「細胞移植は成功したんだろ?」
「染色体自体がボロボロで、今はなんとか持ち直していますが時間の問題です。」
そこまで聞くとキツカはうつむいて拳を握り締めながら何か言っているようだが、はっきり聞こえず画面にも”解析不能”の表示が出た。

話が重くなってきたが、次の瞬間画面は一気に明るくなった。
どうやら子供たちを連れて公園に来たようだ。
公園の入り口には怪しげな露天が出ていた。
見たことのない機械が置かれていて、何を売っているかよくわからなかった。
メルトは興味を持ったらしく子供を連れて近づいていった。
「あら、鋳掛屋(いかけや)さんじゃない。あ、年季の入ったプラズマ冶金炉(やきんろ)ね。」
「おいおい、よく使い込んだと言ってほしいな。金属ならどんな鍋や包丁でもたちどころに直しちまうぜ。」
「あ、ごめんなさい。悪気はないんです。私、プラズマのブワッと出るの大好きなんで。」
「あいにく今はなおす鍋がないからプラズマ出せないな。」
「それは残念。」
「今日は夕方までここで店出してるからそんなに見たければあとでよりな。今は客少ないけど、結構流行ってるんだぜ。」
「それは楽しみ、後でよらしてもらいます。」
そういうとむきを変え、公園に入っていった。
公園は丘になっていて、まばらに木が生えているが一面芝になっていた。
丘の下には大きな石が並んでいた。
少し入ったところでキツカとケイトが先行した子供たちと待っていた。
ケイトは少し呆れた様子で言った。
「ああ、やっときましたか。皆さんここは清浄管理されているから敷地内ならいくらでも走り回れますよ。」
聞き終わらないうちにメルトは子供たちと走りだしたようだ。
丘の中腹まで登ると止まってくるくる回り始めた。
周りの子供たちも一緒に回り始めた。
そのうち回るのに飽きた子供たちがメルトに向かって飛びかかってきた。
「ははは!勇者メルトはこの程度では倒れないのだー!」
「おお!勇者め!これでもくらえー!」
「ロボット勇者!やっつけるぞー!」
子供たちがメルトにしがみついてくるくる回り始めた。
「ははは!ついてこれるかな!」
そう言うとメルトは子供たちを振りほどいて、丘を駆け下りていった。
メルトは丘の下の石のところまで来ると振り返って子供たちの方を見た。
子供たちは後を追って降りてきた。
「勇者というからには勇者の剣を持っているんだよね。」
そう言われてメルトは少し姿勢を直して胸を張った。
「諸君!もちろんだとも。みたまえ!」
そう言うとメルトはどこから出したかわからないが一本のスパナを握りしめ勢い良く振りかざした。
「これぞゼンさんよりたまわれた神剣エクスカリバー!」
「メルト、お前何言ってるんだ?」
キツカが呆れたように言った。
「何って、エクスカリバーですよ、ゼンさんよりたまわれた。」
「エクスカリバーって、それは何かを締め直すものじゃないのか?頭のネジ締め直すのか?」
「何を言ってるんですか?よーく見ていなさいよ!」
そう言うとメルトは向きを変え石に向かって勢い良くスパナを振り下ろした。
カキーン!と甲高い金属音とともにスパナは真っ二つに折れてしまった。
「エ、エクスカリバーが!」
「何やってるんだメルト。」
子供たちは騒ぎ始めた。
「大変だ!勇者の剣が折れた!」
「折れた!折れた!」
「大変!大変!」
これにはキツカも驚いている様子だ。
「どうかしたのか?大丈夫か?」
突然さっきの鋳掛屋が声をかけてきた。
「なんの騒ぎかと思って見に来たんだが、怪我とかじゃないよな?」
「怪我はしてませんがエクスカリバーが!」
そう言うとメルトは折れたスパナを見せた。
「ははは、見事にやってしまったな。ちょっと見せてみろ。」
鋳掛屋はメルトからスパナを受け取ると折れたところを調べた。
「これならすぐ直るよ、なに、お代はいらない。プラズマ見たいって言ってただろ。」
「え?いいんですか。いや、それは悪いですよ。」
「そんな事いうんじゃないよ。人の好意は受け取れよ。」
「す、すいません。」
一同は鋳掛屋の後についてぞろぞろ先ほどの露店のところに移動した。
鋳掛屋は露店の中央の装置にかけられたシートを外した。
装置の上部は透明のドームになっていて中にはいろいろな装置が入っているようだった。
下部には複雑なダイヤルやハンドル、パイプやバルブがたくさん付いているのが見える。
鋳掛屋は上部のドームを開いて中をいじっていたが、確認するようにもう一度スパナを詳しく見なおし、指で感触を見ると近くの小物入れの引き出しから棒状のものをいくつか取り出した。
「うーん、クロムにモリブデン、バナジウムも混ぜるかな。」
「なんですか?」
「うん炭素と鉄だけじゃ物足りないから微量にいろいろ混ぜるんだよ。その加減が腕の見せ所ってことさ。」
「そうなんですか。」
メルトは興味深そうに聞いていると、子供たちが話しかけてきた。
「ねえ、勇者のツルギは直るの?」
鋳掛屋は少し考えたがすぐに笑顔になり。
「勇者のツルギは今から鍛え直されるよ。」
と答えた。
鋳掛屋は取り出した金属棒をドームの中の装置に差し込んで微妙に調整し始めた。
それが終わると次に折れたスパナを固定し、ドームを閉じてレバーを締めて密閉した。
ボタンを押すとポンポンポンと音がしてそれが次第に音が高く小さくなっていた。
鋳掛屋がボタンやダイアルを操作しているとスパナが真っ赤に光り出した。
「すごい。」
「まだまだこれからだよ。いまスパナをレーザーで加熱しながら強磁場かけてるところ。」
「プラズマはまだ?」
「あわてるな、電圧はゆっくり上げないと。」
鋳掛屋はドーム内の様子や、パネルの計器の針の動きを確認しながらダイヤルやレバーを微調整している。
しばらくするとスパナの下側に赤い光の帯が現れ、その脇に黄色や緑の光がぼやっとわき出してきた。
鋳掛屋はますます真剣な表情になり指先で細かくダイヤルを調整すると光の色が混ざって赤っぽい光の帯が出来た。
光の帯は大きくなり、次第にスパナの継ぎ目の部分を覆っていった。
鋳掛屋がレバーを引くと一瞬スパナの継ぎ目が真っ赤に強く光り軽く火花がちった。
「よっし!」
鋳掛屋が大きな声を上げると、光が消えプシュッと空気が吸い込まれる音がした。
「すごい!すごい!」
緊張の溶けたメルトが興奮した様子で声を上げた。
「ははは、なかなかの見世物だっただろう。」
そう言いながら鋳掛屋はドームを開いてやっとこのようなもので中のスパナをつかむと足元の桶の中に放り込んだ。
プシュと大きな音がして湯気が立ち上った。
鋳掛屋は慣れた手つきで落ち着いた桶の中の中からスパナを取り出すと回転式のグラインダーで削り始めた。
「うーん、ついでだ蒸着コーティングしてやるよ。」
「え、つないでもらっただけでもありがたいのに、申し訳ないです。」
「はは、俺がそうしたいから言ってるんだよ。なんだかあんたが気に入ったんでな。やりたいようにやらせてくれ。」
「ありがたいです。ありがたいです。感謝感激です。おじさんはゼンさんに次ぐ大恩人です。」
鋳掛屋は再びスパナをドーム内に固定し横から何かの装置を引っ張りだしてきてスパナの横に固定した。
ドームを閉じてまたポコポコ音がして空気を抜いていった。
今度は幻想的な青紫色の光がスパナ全体を覆った。
「おお!すごい!」
「はは待ってな、念入りにコーティングしてやる。」
「私この光を見ると、なんだか使命感といううかこのために生きているって感じがするの。」
「え、あんた鋳掛屋のアンドロイドなのか?」
「うーん、多分違うけど、なんかこういうモアっとした光に惹かれるのよね。」
「そうなんだ。うーん、そろそろかな。」
光が消え、プシュッと音がすると今度はブワーと空気を送る音がし始めた。
「もういいかな。」
鋳掛屋はそう言うとドームを開いてスパナを取り出した。
しばらく確認すると。
「よーし出来たぞ。」
といってメルトに手渡した。
メルトは両手で大事そうに受け取ると継ぎ目を確認するように指でスパナをなでた。
「うっううっ!」
メルトは小さな声を漏らすと、顔を上げ勢い良く子供たちの方に振り返った。
そしてスパナを握った手をまっすぐ上にあげて大音声で叫んだ。
「折れたるツルギは今鍛え直された!」
「オオー!」
周りで見ていた子供たちは一斉に声を上げた。
「ワー!勇者の剣が直った!」
「お姉ちゃんスゴイスゴイ!」
子供たちは興奮してメルトの周りに集まってきた。
「やっぱりおねいちゃんは勇者だ!」
気がつくとケンタがメルトにしがみついていた。
少しよろめきながらケンタはメルトの顔を見上げ精一杯声を張り上げて続けた。
「勇者のおねいちゃん、世界を救って!」
「おお!もちろんだよ!そのためにゼンさんに作られたのがこの勇者メルトだ!」
それを聞くと周りの子供たちも一斉に歓声を上げてはしゃぎだした。
ここで場面は電車の中に変わった。
どうやら帰り道のようだ。
隣にはキツカがいるようだった。
「メルト、お前ってとんでもない能力を持っているな。」
「え?なんの話?」
「だから、子供たちを意のままに操っていただろ?」
「ええ?私そんなことしてませんよ。」
「はは、言い方が悪かったか。人を引っ張る力があるという事だよ。」
「引っ張る?」
「惹きつけるというか。ハーメルンの笛吹き男みたいに子供たちを引き連れていただろ?」
「う!ハーメルンって、この間の紙芝居じゃない。どこかに連れて行っちゃうんでしょ?」
「ははは、悪い悪い、悪いたとえばかりだな。いや、悪く言いたいんじゃなくて感心しているんだよ。」
「そうなんですか?」
「実に素晴らしい能力だ。見なおしたんだよ。」
ここで画像は終わりまた直方体が出てきた。


第3章 アンドロイドの心臓

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